ゆめほん雑記
2017年08月15日(火曜日)
戦争はいけない

今まであまり声を上げなかった人たちが、自らの体験や思いを伝えようとしています。新聞、テレビ、雑誌、あらゆる媒体でかつての戦争体験、悲惨な戦後の暮らしについて語っています。今言わなければ、そうした思いが彼らを突き動かしています。
 日本が戦争を起こすのではないか、あるいは巻き込まれるのではないか。日本人だけで310万人も死んだというのに、また戦争をするのか。そんな不安が駆り立てるのです。
 軍拡を目指す安倍政権、核をいつでも持てるように原発を確保する政権、それを支える国会議員の多くがメンバーの日本会議。反対するあのような連中は共謀罪。そして北朝鮮との緊張を煽る政権。日本なのに米軍の勝手気ままを抑えられない政権。
 いろいろな不安が、高齢者を不安にさせる。戦争はいけない。どんな正義があってもいけない。



2017年08月15日(火曜日)
日野原先生のこと

105歳で亡くなった日野原先生。先生の講演を本にしたことがあります。ごく一部をご紹介します。
 医師になりたてのころ、アシスタントのナースが菌体を飲み込んでしまい、気がついた時には手の施しようがなかったこと。当時はスポイトなどなく、ピペットを使って菌体を吸い込んで培養調整していたのです。
 生の菌を人体に注射して感染させるという実験を満州の石井部隊が戦争中にやりました。その伝染病の潜伏期間は何日という実験をやっていました。京大の仲間もいました。
 日比谷の劇場で大きな風船を作って、中にショウジョウバエを入れる。ばい菌、腸チフス菌、コレラ菌と共に入れて、千葉の海岸からアメリカに送った。
 2001年9月11日の同時多発テロを見て、我々がやったことを、彼らがやっているということを強く感じたのです。
 聖路加国際病院に就職しました。空襲下で患者が溢れ、病室もチャペルもロビーもいっぱいでした。ひどい火傷で薬もなく死んで行きました。病院を新しくする時に、チャペルもラウンジもロビーも、どこでも酸素や吸引のパイプを用意しました。これが地下鉄サリンの事件が起きた時に役に立ちました。これはスイスやスウェーデンから学んだことです。平生から用意をしているのです。
 ある時患者さんが手術後「先生、本当のことを言ってくれますか。私の命について本当を知りたい。癌でしょう。たった30分で手術が終わったなんて」私は白状せざるを得なくなって「癌でした」と言いました。すると患者さんは涙を流して喜びました。「できるだけ治療はしてください。ですが私は死の準備をします」と言いました。このことが癌告知の考えに大きな影響を与えました。何十年も前のことです。



2017年05月18日(木曜日)
共謀罪成立

「改造」という雑誌がありました。大正8年(1919)創刊、戦時中は弾圧を受けて廃刊、戦後復刊したが昭和30年に廃刊になった総合雑誌です。幸田露伴、谷崎潤一郎、志賀直哉らの小説連載や芥川龍之介の文学論争、社会問題や労働問題の記事を多く掲載しました。改造社はアインシュタインやバートランド・ラッセルを日本に招くなど大いに人気のあった雑誌でした。
 昭和17年(1942)掲載の論文が共産主義的であるとして、発売禁止、著者は逮捕されました。捜査中に著者を中心とした改造や中央公論の編集者たちの集合写真(出版記念会)が発見され、これが日本共産党の再結成の謀議をしているものだとされました。
 関係者60人余りが検挙拷問を受け、4人が獄死した。治安維持法違反で起訴され、有罪となった。敗戦の確定した玉音放送の直後の判決でした。米軍の追及を恐れ、捜査資料等はすべて焼却されたという。
 戦後復刊したが、やがて労働争議で再び廃刊。編集者たちはそれぞれ別の道を模索しました。ある人たちは編集プロダクションを作りました。編集や校正をしてなんとか生きていこう。
 運命のいたずらなのか、実は私が本格的に校正を始めたのは、彼らが作った会社でした。当時の社長はあまりこのことを話しませんでしたが、ある時ぽつりぽつりと話してくれました。何も知らなかった私は大いに焦ったものでした。
 写真1枚で共謀罪成立、怖い話です。



2017年05月12日(金曜日)
明治憲法

明治憲法の下で行われた無数の戦争。こんな時代に戻りたいという人たちがいる。
戦後70年平和憲法の下で、直接の戦争はしなかった。平和のありがたみは身にしみてわかっているはずなのに、明治憲法の時代に戻りたいと言う人がいる。

大金持ちと軍人が政権の中枢にいれば、考えることは一つ。戦争の危機を煽り、軍備を増やす。見かけ上、好景気になる。そして利益を上げることだ。平和になると莫大な借金が残り、不景気が襲う。いつも戦争、あるいは戦争の危険が必要だ。
振り返ってみよう。

明治憲法(大日本帝国憲法)は、1889年(明治22)2月11日に公布、翌年11月29日に施行され、1947年(昭和22)5月3日に日本国憲法が施行されるまで続いた。この57年間は激動の時代であった。
1894年(明治27)8月から翌年にかけて日本と清国の間で戦われた日清戦争。朝鮮の権益をねらう日本と旧宗主国清が朝鮮半島の混乱を機に出兵、激突した。日本は24万の兵を動員して勝利したが、ロシア・ドイツ・フランスの圧力により遼東半島を返還した。
日露戦争、1904年(明治37)2月から翌年にかけて,満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。日本軍は旅順、奉天、日本海海戦で勝利を収めたが,軍事的財政的に限界に達し,一方、ロシアでは労働者革命の激化などで戦争終結を望み講和条約を締結した。与謝野晶子の「君死にたもうなかれ」はこの時の弟の出兵を嘆いたもの。
やがて軍は主導権を握ろうとしていく。1932年(昭和7)5月15日 五・一五事件。武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
二・二六事件は、1936年(昭和11)2月26日から29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件である。
やがてその軍部の独走が始まる。日中戦争は1937年(昭和12)7月7日,自作自演の盧溝橋事件にはじまり,1945年8月15日,日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争。
軍部は戦線を拡大して主要都市鉄道沿線を占領,宣戦布告のないまま,全面戦争に発展。中国は37年9月の第二次国共合作による抗日民族統一戦線が各地で抗日戦を広げた。

1941年12月に日本はガソリン禁輸などの経済制裁に耐えきれずアメリカを攻撃、太平洋戦争に突入した。すでに東南アジア、南太平洋に侵攻、補給線確保もままならない日本軍は、超大国アメリカをはじめとする連合国に撃破されて行った。
そして沖繩壊滅、原爆投下。日本のおそらく全ての都市が空襲や艦砲射撃で焦土と化した。日本軍はすでにどこにもなかった。

働き手は戦死、家は焼かれ、食べるものもない。こんな時代に戻ってはいけない。



2017年03月22日(水曜日)
開花宣言

東京の桜が開花宣言、日本一早いという。それを聞いたあるラジオの聴取者が、
東京の桜が日本一早いなんておかしい、九州や小笠原の方が暖かいのだから、同じ東京都でも小笠原が一番というのならわかるが千代田区だなんて、常識から考えてもおかしいと異議をとなえていました。困ったアナウンサーは気象予報士にその疑問をぶつけました。気象予報士いわく、たしかに温度だけならそう言えますが実は桜は寒さを経験しないと咲かないのです。暖かさだけではないのです。さて実際基準木とされる靖国神社の桜を見てみると、5、6輪咲いていますが、その周りにあるほかの桜はまだ全然咲いていませんでした。この木だけが早いのです。周りに芝生を植えたり、柵を設けたり、特別待遇の基準木です。と答えていました。1日の平均気温が11度になるとソメイヨシノが開花するといいます。八重桜は13度だそうです。もっとも平均気温を調べるのも大変ですが。



2017年03月22日(水曜日)
 正月の頃を初春と言うことがあります。正月7日は七草粥を食べます。しかし七草はまだ生えていません。立春は2月4日頃です。でも実際は冬です。これは新暦と旧暦の差です。かつて(江戸時代)は、暮れ師走が明けると春だったのです。初春だったのです。大晦日がすぎると春になったのです。ですから七草も簡単に手にはいったのです。ときには暦のいたずらで、年が明ける前に立春がきてしまうことがあったそうです。節分の鬼がいるうちに年神様をお迎えすることになります。年末の集金が終わらないうちに春がきてしまいます。
 冬が厳しければ厳しいほど春が待ち遠しいものです。1月の初めに東京で梅が咲いたそうです。梅が咲いたが桜はまだかいな。晴れ着の成人式。春の話題が続きます。実際には寒い冬です。センター試験、大寒波襲来、そんな厳しい季節です。人のこころは春を夢見て冬を乗り越えるのでしょう。
 難民のテントが大寒波に襲われ、おおぜいの人が凍死したというニュースがありました。春が待ち遠しいです。



2017年01月12日(木曜日)
急に冬めいてきたせいか、東京でも木の葉が色めいてきた。ケヤキの赤、黄色、茶色、緑、モミジの赤、イチョウの黄色、クスノキの濃い緑。背景の青空はどこまでの青く、どこかの山にでもいるような気がしてくる。桜の葉は早くも散り始め、木枯らしがつくった落ち葉の列が道の片側に続いている。踏みしめると気持ちいいだろうな、ガサガサと音がするだろうな。キジバトの夫婦が葉をつついている。静かな朝の光の中で少し帽子を斜めにかぶって出勤です。


2017年01月05日(木曜日)
2017年がやってきました。東京では穏やかな陽気の正月でした。
 家族親類が集まることはどちらも盛んですが、近頃は晴れ着の男女を見ることは少なくなりました。羽根つき凧揚げコマまわしなども見かけなくなりました。初詣に向かう人たちが少し華やいだ気分にさせますが、街は静かになっています。
 一方で伝統回帰、伝統への憧れが起きています。戦争でとぎれたものを繋ぎたいのか、明治以降の西洋化の反動なのか。江戸以前の文化、城、絵画、寺社、祭り、料理、あらゆるものに自分たちのアイデンティティーを確かめるかのように興味を持っています。
 どんな年になるのでしょう。オリンピックのおかげでマスコミからは見事に東北、福島、原発、などの話題が減りました。オリンピック招致は東北復興が一つの名目だったのに、どこかに行ってしまいました。オリンピックには莫大な費用がかかるようです。組織委員会がスポンサーをたくさん集めてくれるならともかく、結局その費用は都民、国民が負担することになります。東北復興には全くならないのです。
 自国ファースト、軍備増強、憲法改正の動きが加速されようとしています。何より国会議員たちがリーダーの意見に無条件に従うのでなく、自分で考えて行動してほしいものです。目先の損得で動いているうちに日本を戦火に巻き込むことはやめてほしい。
 全人口の5%の人が世界の全資産の90%を持っているのが現実です。一部の人間がお金のために世界を動かしているのです。アメリカでは不動産王が大統領です。中国やロシアを見てもすでに社会主義や共産主義はなくなっています。あるのは新資本主義でしょうか。中国では資本を国が管理しようとしています。アメリカでは資本家が資本を管理しようとします。巨大資本は国家予算より大きな金額を管理しています。グーグルやアマゾンという巨大資本はいわゆる税金は払いません。特定の国にはしばられない方法をとっているのです。やがて巨大資本は国を支配するようになってくるでしょう。



2016年11月08日(火曜日)
さよなら平和思想

 日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争と世界を相手に戦って、やがて各地で敗れ、沖縄で逃げ場のない戦いを強いられ、本土大空襲、原爆投下と追い詰められた戦前の日本。日本人犠牲者は300万人ともいわれている。(中国人は2000万人とも)
 戦後は一億総懺悔のもと、平和国家を目指した。平和こそ日本の生きる道だと多くの人はすべてを失った国土を見ながら思ったことだろう。
 平和憲法は精神的な支柱となった。もちろん理想にすぎないとも感じてはいたが、少なくとも戦争はしないと思っていた。経済復興が急速に進んだ。軍備に使う費用は最小でいい。東京オリンピックは日本の復興を世界に印象づけた。世界と仲良くしよう。やがて経済大国とまでいわれるようになった。
 しかし国際情勢は一方的な発展は許さない。やがてバブルは弾けて経済は低迷することになった。
 なぜ平和国家日本が続いたのか、国際情勢によってアメリカが支えていたからではないのか。のほほんとした平和主義では続かない。アメリカと組んで積極的平和主義でいかなければならないという人たちが現れた。憲法は改正しよう、軍隊を世界に展開しよう。
 憲法改正賛成派はすでに国会議員の3分の2を占めている。戦後平和思想の終焉である。多大な犠牲を懺悔して生まれた平和思想はすでに捨てられているようだ。



2016年10月18日(火曜日)
災害と暮らす

台風の当たり年でしょうか。次々とやってきます。しかも50年に一度という豪雨が当たり前のように降っています。あっという間に洪水に襲われ、多くの人が命を落としています。予想を超えた水の量と勢いです。橋が崩れ、通行中の車が転落します。鉄道の下の半地下通路の水たまりに車が入って動けなくなります。水圧でドアが開かずやがて水没してしまいます。例年あまり被害がなかった北海道にも続けて台風が上陸、多大な被害を与えました。台風の発生が多いのは、そのひとつに海水温の上昇があります。沖縄・九州近辺で表面温度30度とか。その分、例年より近海で発生、すぐに日本に影響を与える。これが温暖化というのでしょう。もしそうならこれは人間の仕業ということになります。
信玄堤(霞堤)というのがあります。急激に川の水が増えた時、水を意図的にあふれさせ、堤防の破壊を防ぐことができます。あふれた水は近くの土地に溜まりますが、予想できる範囲で、その後の排水も容易です。強固な土手を造って強制的に川をコントロールするのは限界があります。川も生きています。仲よくすることが被害を少なくするヒントです。



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