ゆめほん雑記
2018年12月07日(金曜日)
年収200万円以下の人がたくさんいるのに、10億円以上の人もいるという。極端すぎる。アメリカン・ドリームとは誰でもいくらでも稼ぐ自由が与えられることだという。実際はそうはいかない。恵まれた教育を受けてエリートコースを歩む人とその日暮らしの下層生活者が同じ自由を持っていることはない。経済格差が広がることは社会を不安定にする。一部の人たちばかりに貢献する政府はやがて破綻するだろう。とはいえ世界各地でそうした我利我利亡者たちが支配する国がたくさんある。独裁国家。ところが独裁者はしばしば民主的手続きで選ばれている。ヒットラーも選挙で選ばれている。寄らば大樹の陰とばかりに少し力のある者に近づいていれば損はしないと集まる。果たしてそれでいいのか。道を誤ってはいないか。自分の意見はないのか。目先のことだけでなく、子や孫のためにも。


2018年11月27日(火曜日)
 連日台風が発生している。被害から復旧していないうちに次の台風が襲う。我が身を守るためには、できるだけ安全と思える行動をとるしかない。雨風がひどくなってからの避難はかえって危険だ。そうなる前に、明るいうちに避難行動をする。
 会社は社員の安全のため早仕舞いをする。お店は閉店を早め店員を帰す。交通機関は早めに終了することを衆知して運行を取りやめる。
 台風20号が関西地区を襲ったとき、人々は素早い行動を選んだ。マスコミも早い避難を呼びかけ、多くの人たちは安全策を講じた。実際には交通機関に間に合わず、いつもよりひどい体験を余儀なくされた人たちもいたに違いないが、危険が迫っているとき、多分大丈夫さ、大丈夫に決まっていると考えた人たちが被害にあったことを多くの人が知ったことは大きい。今回は画期的なことだろう。災害避難、安全確保の行動様式が一つ進化したということだ。
 危険が迫っているのに社員、店員を働かせたり、俺はいやだよと避難を遅らせる人たちが減っていくことを願っている。



2018年08月24日(金曜日)
避難体験

梅雨末期の大豪雨で西日本の広い範囲が土砂災害、水害に襲われた。気象庁は50年に一度の大雨が降っている、大災害が起きても不思議はないと警報を出した。直接住民に避難を呼びかけるのは市などの自治体だ。危険の大きい地区はもちろんわかっている。しかしそのすべてを監視、安全を確保することは不可能。住民に避難を呼びかける。しかし何年か前、ある市長の記録がある。避難指示を出せば住民は皆避難すると思っていた。しかし実際はほとんど動かなかった。サイレンを鳴らし、広報車を回しても動かなかった。あとで住民に聞けば、どうせ大したことないだろうと思っていた、という。その結果大きな被害が出てしまった。ところが隣の市では、人的被害が出なかった。住民は避難指示が出ていない地区さえも自主的に避難していたのだ。なぜだ。隣の市では防災避難訓練をマメにやっていた。このくらいの大雨だと危ないという感覚もあった。声かけあって避難したのだという。市長は避難指示は出しにくい。仮に大手の工場があって、機械を止めて避難させて、その結果大きな損害を工場に与えたと訴えられて、負ければ市長はその責任を取らされるかもしれないのだ。市長は気象や防災の専門家ではない。専門家の知恵をうまくまとめなければならない立場だ。責任は重大だ。住民はまず自助(いつ、どこへ、どうやって避難するか)考えなければならない。そして試してみることだ。ミサイル避難訓練よりはるかに意味のあることだ。


2018年07月09日(月曜日)
6月の終わりに30度ですから、7、8月は「半ぱない暑さ」ということになるのでしょうか。熱中症対策で都会はエアコンがフル回転、なのでますます外気は暑くなる。エルニーニョだかラニャーニャだか、よくわからないけれど長期予報は「平年より暑めです」とか。宮沢賢治の「寒さの夏はおろおろ歩き」よりはマシ。夏が暑いのはよしとするか。それにしてもそれにしてもである。2020年夏の東京オリンピックは大丈夫なんだろうか。


2018年06月26日(火曜日)
あれほど寒さが続いたのに、突然の春です。沈丁花、梅を追い抜きそうに桜は満開、慌てて辛夷、雪柳、連翹、花蘇芳たちが咲き始め、もともと咲いていた椿も負けずと大きな花を広げている。足元には水仙、土筆、蒲公英、一気に春だ。そしてチューリップやヒヤシンスのようなたくさんの園芸植物。ヨーロッパには6月の花嫁、6月に一斉に花が咲く、という言葉があるそうですが、東京では3月に一斉に花が開いたようです。暖かくなるのは嬉しいものです。テレビではどこかで台風3号が発生したと言っていました。暖かいのが温暖化の影響でなければいいのですが。ところで植物名を漢字で表してみました。興味を感じましたか。あなたは校正に向いているかもしれないですよ。


2018年02月13日(火曜日)
戦争を望んでいないか

 シリアでは政府軍が反政府軍支配地を取り囲み封鎖しています。その中には何万人もの人たちがいわば兵糧攻めにあっています。治療を必要とする重症患者も多くいますが、医者も病院も圧倒的に足りません。このほど20人程度の重症の子供たちを搬送できることになりました。人道的措置のように聞こえますが、実は捕虜交換だそうです。つまりすでに捕まっている反政府軍兵士と交換に子供たちを解放するということです。悲惨な戦争はずっと続いています。
 70年ほど前、日本は戦争に負けました。強権的な政府がすべてを決めるという時代が終わり、民主主義、自分たちが主役になれるという時代に変わるということになりました。もう戦争はしないという国民総懺悔があって、実際戦争には直接関与はしませんでした。戦争はないんだ、そう思い込んでいました。
 さて冷静に世界史を見てみましょう。第2次世界大戦の後、すぐにインドネシア独立戦争、インドシナ戦争、インド・パキスタン戦争、チベット紛争、朝鮮戦争、ハンガリー動乱、ラオス、コンゴ、ベトナム戦争、まだまだ延々と続いています。アフガニスタン、イラン・イラク、湾岸戦争、中東戦争。戦争は続いていました。
 戦争を避けるにはどうしたらよいのか。日本の約70年の平和は奇跡だったのかもしれません。どうしたら保てたのか。戦争の原因は経済的な権益の取り合いです。単純な言い方をすれば、お金持ちがさらに良い条件を奪うために戦うのです。独立だ、正義だ、というもっともらしい理由に惑わされてはいけないでしょう。戦争があるかもしれないというと景気がよくなります。軍需産業が活気づき、経済が活気づくからです。戦争が終わると不景気になります。過剰投資が顕在化するからです。どうしたら平和でいられるのか。じっくり考える必要があるようです。



2017年12月06日(水曜日)
サラダ記念日

 先日電車に乗ってつり革につかまっていたら、目の前の女性が立ち上がってなにやら耳元に声をかけてきた。何を話しているのかはわからなかったが、その手つきからどうやら席を讓るからお掛けください、ということのようでした。
何も考えていなかった私は、とんでもない、すぐ降りるしとお断りした。
 女性は立ち上がって脇によけている。そうか確かに今日は疲れて私はヨレヨレだ。ひどい状態と同情されたのかもしれなかった。これは初めての体験だった。ショックだが、少しありがたい気もする。
 私はその女性にとても語りたい衝動に駆られた。「あなたが席を譲ると言ったから今日は優先席記念日です」



2017年10月17日(火曜日)
日野原先生のこと

105歳で亡くなった日野原先生のお話です。
 医師になりたてのころ、アシスタントのナースが菌体を飲み込んでしまい、気がついた時には手の施しようがなかったこと。当時はスポイトなどなく、ピペットを使って菌体を吸い込んで培養調整していたのです。
 生の菌を人体に注射して感染させるという実験を満州の石井部隊が戦争中にやりました。その伝染病の潜伏期間は何日という実験をやっていました。京大の仲間もいました。
 日比谷の劇場で大きな風船を作って、中にショウジョウバエを入れる。ばい菌、腸チフス菌、コレラ菌と共に入れて、千葉の海岸からアメリカに送った。
 2001年9月11日の同時多発テロを見て、我々がやったことを、彼らがやっているということを強く感じたのです。
 聖路加国際病院に就職しました。空襲下で患者が溢れ、病室もチャペルもロビーもいっぱいでした。ひどい火傷で薬もなく死んで行きました。病院を新しくする時に、チャペルもラウンジもロビーも、どこでも酸素や吸引のパイプを用意しました。これが地下鉄サリンの事件が起きた時に役に立ちました。これはスイスやスウェーデンから学んだことです。平生から用意をしているのです。
 ある時患者さんが手術後「先生、本当のことを言ってくれますか。私の命について本当を知りたい。癌でしょう。たった30分で手術が終わったなんて」私は白状せざるを得なくなって「癌でした」と言いました。すると患者さんは涙を流して喜びました。「できるだけ治療はしてください。ですが私は死の準備をします」と言いました。このことが癌告知の考えに大きな影響を与えました。何十年も前のことです。



2017年08月15日(火曜日)
戦争はいけない

今まであまり声を上げなかった人たちが、自らの体験や思いを伝えようとしています。新聞、テレビ、雑誌、あらゆる媒体でかつての戦争体験、悲惨な戦後の暮らしについて語っています。今言わなければ、そうした思いが彼らを突き動かしています。
 日本が戦争を起こすのではないか、あるいは巻き込まれるのではないか。日本人だけで310万人も死んだというのに、また戦争をするのか。そんな不安が駆り立てるのです。
 軍拡を目指す安倍政権、核をいつでも持てるように原発を確保する政権、それを支える国会議員の多くがメンバーの日本会議。反対するあのような連中は共謀罪。そして北朝鮮との緊張を煽る政権。日本なのに米軍の勝手気ままを抑えられない政権。
 いろいろな不安が、高齢者を不安にさせる。戦争はいけない。どんな正義があってもいけない。



2017年08月15日(火曜日)
日野原先生のこと

105歳で亡くなった日野原先生。先生の講演を本にしたことがあります。ごく一部をご紹介します。
 医師になりたてのころ、アシスタントのナースが菌体を飲み込んでしまい、気がついた時には手の施しようがなかったこと。当時はスポイトなどなく、ピペットを使って菌体を吸い込んで培養調整していたのです。
 生の菌を人体に注射して感染させるという実験を満州の石井部隊が戦争中にやりました。その伝染病の潜伏期間は何日という実験をやっていました。京大の仲間もいました。
 日比谷の劇場で大きな風船を作って、中にショウジョウバエを入れる。ばい菌、腸チフス菌、コレラ菌と共に入れて、千葉の海岸からアメリカに送った。
 2001年9月11日の同時多発テロを見て、我々がやったことを、彼らがやっているということを強く感じたのです。
 聖路加国際病院に就職しました。空襲下で患者が溢れ、病室もチャペルもロビーもいっぱいでした。ひどい火傷で薬もなく死んで行きました。病院を新しくする時に、チャペルもラウンジもロビーも、どこでも酸素や吸引のパイプを用意しました。これが地下鉄サリンの事件が起きた時に役に立ちました。これはスイスやスウェーデンから学んだことです。平生から用意をしているのです。
 ある時患者さんが手術後「先生、本当のことを言ってくれますか。私の命について本当を知りたい。癌でしょう。たった30分で手術が終わったなんて」私は白状せざるを得なくなって「癌でした」と言いました。すると患者さんは涙を流して喜びました。「できるだけ治療はしてください。ですが私は死の準備をします」と言いました。このことが癌告知の考えに大きな影響を与えました。何十年も前のことです。



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