東京大洪水の記録


2005年、アメリカの50万人都市ニューオーリンズで起きた大洪水の記憶は新しいが、もし東京で起きたらどうなる。
   まさかそんなことが、と思っていないだろうか。これは95年前、東京で実際に起きた大洪水の体験記録である。

東京大洪水の記録(明治43年8月)

明治43年8月、関東は記録的な大雨に襲われた。隅田川が氾濫し、下町一帯は大洪水に見舞われた。そのときの状況を千代ばあちゃんの父・実がその母・よしに詳細に書き送ったものである。
千代ばあちゃんの父・実(みのる)は本所に住んでいた。水に襲われ、あわてる様子、見知らぬ人を助けたり、友人、知人と助け合う様子、水に追われながら親類を回る様子などを克明に記録している。明治43年、千代ばあちゃんが生まれた翌年のことだった。
  一枚の絵葉書から明治43年の東京大洪水
  東京大洪水『野菊の墓』で有名な歌人・伊藤左千夫は
東京大洪水の手紙
大洪水の手紙
<意訳>
拝啓 この度は男子出生この上ないことと御喜び申し上げます。早速お祝い状差し上げるべきところ、水害後せわしくついついごぶさた申し上げました。お祝い物もなにかと考えておりましたが、思うようにはまいらず、心ばかりの物をお送りいたしましたところ、一昨日は御礼状くだされ有り難く拝見いたしました。その後両人ともますます壮健と安心し、喜んでおります。また水害中にはなにかと御心配くださり、いろいろ送りものを頂戴し、有り難く御礼申し上げます。
(これより母にお聞かせください)
さて、水害は八月十日より、私の家の前は一尺くらいの水で、だんだんと増水、十日の午後五時に小生帰宅したときには、一尺五寸くらいになりました。このときは松倉町の通りは水なく、いまに増水すると言っていました。交番には「避難しなさい」と出ており、大変なさわぎ。私も衣類の片付けをし、吾妻橋より向島方面へ水の様子を見にいったところ、中ノ郷元町の電車の道から吾妻橋まで大変な水、一尺五寸くらいで流れ激しく、枕橋は交通止め、源森橋では向島の新小梅へ水が落ちて実に驚きました。
この水を見て小梅へまいり、秋山へ寄ったところ、秋山前だけ水がない。大急ぎで帰宅途中、原庭松倉町の通りは一面の水。  
帰宅すると、浅草の父と二ツ目の榎本の両人がきており女子どもを連れて行くという。ハル子、千代、セイだけ。衣類を持てるだけ私が持ち、水を渡り吾妻橋まで送り、あとはよろしく頼みました。ここから帰宅すると、伊藤と山口の中小僧が来ており、さっそくなにもかも片付け床をつくった。夜の十一時ごろには床の上に水が上がりふたたび増水。私と福は一段低い床上ニ尺五寸くらいのところに火鉢、茶だんすをおいて夜を明かしました。たいへんなことで大変困りました。
東京大洪水十一日の朝、浅草は大変な水とのことなので、私が行ったところ、公園は水、常磐座の横は私のへそまで、パノラマの裏は乳の下三寸のあたり、榎本の家のあたりは乳の上まで水。やっと榎本の家に着いたところ、昨夜立ち退いたとのことで、帰宅致しました。
十二日の午後三時ころから、中川のほうから増水してきたとのことで、福を筏にのせ、逃げる用意をして筏は家の中につないでいました。夜の八時ごろには非常の増水を知らせる鐘と太鼓がものすごく、水の深さはと水の中に立ったところ、私の乳までになっていました。福に風呂敷包みを三個持たせ筏にのせたところ、筏が沈んだので、たらいを三個のせて、その上に板を一枚のせて福をのせたが、また沈むので、私が筏を持ち上げるようにして岡本の角まで送り、竹竿を持たせ表町の水のないところで用いるようにして、筏は私が持って帰ろうとすると水流激しくて進めず、大きいたらいだけ岡本へ預け、あとは流してしまいました。
やっと家に帰り戸を閉め、家を出ると、向こう側は七軒ほど屋根をまくり、屋根に出て助けをさけび、本当に話にもならない。私は、子どもなら二、三人だせと言ったところ、二、三軒先で男の子十歳くらいと十二歳くらいの子の母親が助けてと手を合わせたので、わかったと、一人は頭へしばり、一人は肩へつかまらせて泳がせ、やっとのことで表町明徳学校まで行って無事に立ち退かせました。その途中、舟が来ましたが、舟には女子どもらいっぱいでどうすることもできない。
これから福と二人で西町の中田へ行くことにして、番場へ行ったところ、また水なので、友人の家へ寄ったところ、厩橋まで老人を頼まれ、太った老婆をおぶい、厩橋向こうまで行きました。この老人は五、六人とともに築地へ立ち退きました。
私は厩橋からまっすぐに行ったところ、また水。本願寺前へ出るとまた水。西町へは女は行けないと人が言うので驚きました。仕方がないので、寿町の石井の家へ一泊頼み、ひといきつくと、池田一家が逃げてきて大騒ぎ。一夜を明かしました。
東京大洪水十三日の朝、さっそく水を渡り西町へ行ったところ、中田の家は水がいま三寸くらいで床を上げるんだと騒いでいました。浅草から一家ともこの家に立ち退いており、千代も変わりなく安心致しました。水は上がることなく、二ツ目へ●と二人で炊き出しを持っていき、片づけの手伝いをしました。御存じの通り向こうの学校へ立ち退き、私も十三、十四と泊まり、十五日には西町へ泊まり、十六日には「やっと」泳ぎ泳ぎ帰宅致しました。
戸を開くと、裏の窓の上で四斗樽いっぱいに漬物を漬けておいた樽が流れて、表の戸のところにきて、棚は皆ヵラとなってふた目と見られないありさまで、手の付けようもありません。高野の先の家に行ってこの家の息子二人と私と三人で十九日までおり、泥棒がはげしいので、夜は屋根に上りときどき見回り、十五日には榎本の父と私と●と帰宅しようと十一屋酒店まで行ったが、ここから先は行けず引き返し、十六日に送られてきた御送品が西町に着き、すぐ福が荒井町から舟に乗り持ってきたので大喜び、私と三人、また隣の大工へやり、西町の家でも食べ、皆々大喜びで頂戴いたしました。
私のところへは福が毎日食べ物を運びました。めしは岡本より舟で山のようにもらい、パン、水、甘酒(宮戸座茶や)、報知社は一番先に上出来バケツ、白木綿、ビスケット。軍隊は米、パン。なにをするにも炭もなく買おうにも売店なく、一時は非常に困りました。
私の家は二十日ごろでしたか、福が帰り、二人でそろそろ片づけはじめました。水は二十三日に皆引きました。
私の家の近くでは、皆にお逃げといわれ、うちが一番先に逃げました。箕手さんは、泳げず、逃げる時には水に入ればもぐるため非常にお困りでした。鈴木も開戸も高野も逃げるのによほどまごついた様子でした。私は命あっての物だねだと言って、道具は流れる見込みでしたが、まさかのかたなしになってしまいました。  
そこでセイと子どもは浅草の家に預け、私は社へ宮司と一泊、福は友人の家へ寄宿させ、あとで新所帯持つつもりの覚悟をして逃げたのですが、幸いにも「めぼしい」品は助かりました。浅草の榎本の家は畳は皆だめ、篠田も畳だめ。うちはそのなかでもまず大助かりのほうです。
かまどは改良釜二円五十銭で便利な品を買い、瀬戸物なども一品一品と買い求めかなり揃いましたので、安心してください。写真はガラスは残りましたが、紙のほうは皆だめ。新しいものができたらお送りください。
私の知り合いで水害に遭った人たち
○開戸(無事)
○箕手(一時主人病気)
○鈴木(両人病気)
○吉成(電車無事)
○高野(主人二度病気)
○柳沢(角の家無事)
○岡本二軒(中小僧病死)
○宇田川(無事)
○中島(無事)
○十一や(無事)
○土方(無事)
○坂浩(ぎしゃくや無事)
○小萩田(ヒロさん無事)
○小梅秋山(無事)
○銀さん(無事)
○とぎや(業平無事)
右のほかは無事。業平は一時電車道一尺五寸くらいの水、社の前は六尺二寸、川の端は三尺一寸でした。
私は社へ二十三日より取り片付け、二十七日ころから仕事をしました。自宅は今もって片付かず困っています。岡本では特によくしてくれました。押上の土手を大伝馬船が通り驚きました。加藤さんのところもよほどひどくやられ、お気の毒です。  さて水の話は長々としましたので、筆を止めましょう。
友人の子どもが横川の学校に避難していましたので、ビスケットを三斤買って舟で持って行ったところ、「おじさん、何もってきたの」と子どもたちが私を取り巻き実にあわれでした。
毎度母から便りあるときには、兄上様がやさしくしてくれるので喜んでいると申し、有り難く御礼申し上げます。また本年は二回も義雄が参り、御厄介様でした。これまた御礼申し上げます。
兄上様だんだん寒気に趣きますからお体を大切にしてください。敏夫の写真なるべく早く会いたいのでお送りください。おなる方よ、よくよく気をつけてますますお元気で。  小久は深川学校へ出張  母上様皆々無事ゆえ御安心御安心御安心(家の事もみんなも御安心の意味)くだされたく、おなるの体をお頼み申し上げます。  みなが名古屋の御父上へよろしく申し上げくだされたく。  先日は見事な松茸を頂戴致しました。
十一月十四日                                実  拝
御  兄上様  なる様  母上様
石川の主人と留二が水見舞に来られた時、留二は乳のところまで水、どうにかまいりましたが、主人は立ったままでした。舟で乗ってきて、二人とも非常に驚き、帰りは筏に乗せて十一やのあたりまで送りました。
神戸市兵庫東尻池町
  須藤 幸政 様
  平信 様
東京市本所松倉町    
植木 実
明治43年(1910)、植木千代が生まれて翌年の夏の水害でした。その様子を伝える父・実の手紙が残されていたことは驚きです。

水害の激しさと人々の助け合いの姿が直接伝わってくる、貴重な記録となっています。

残念ながら当方の力不足のため、判読不明の部分や誤読の箇所もあると思われますが、それぞれはご指摘を待つこととし、まずは広く見ていただくことにしました。

平成17年 (2005)8月1日
吉野克彦記



お問合わせは こちら
copyright(C)2005 hachisu-net.com All Rights Reserved