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お釈迦さまの本当の教えはどこにあるの。お釈迦さまの本当の教えを知りたいんだと必死になって私は願いました。真理を教えてほしいと、真剣でした。毎日毎日、仏像に手を合わせ、必死にお願いしておりました。何がほんとうの仏教なのか。何がお釈迦さまの真実の教えなのか。お釈迦さまは一体何を我々に残したのか、それを知りたいと真剣でした。
ヴィパサナー瞑想を始めて半年ほど経った頃、心にある変化が芽生えてきました。頭が毎日さえてきたと言うのか、自分の行動が冷静になってきたような気がします。そんなある日、スリランカへ来ないかという話が一時帰国する長老から持ち上がりました。いままで小乗仏教とばかり思っていた仏教がどのようなものか、実際に私は知っているわけではありません。ぜひ行って、比丘となって寺の生活も体験したいと思ったのです。
はじめて見るスリランカの仏教やお寺の実態は驚くべきものでした。日本で考えていた小乗仏教とはあまりにも違うのです。私は最初、スリランカは小乗仏教だから比丘は皆、一人で山の上へ入って修行し、下りてこないのだろうと思っておりました。大乗仏教のことも何も知らないんだろうと思っていたのですが、すべて覆されたのです。
スリランカの寺には毎日一般の人々がひっきりなしに訪ねてきます。寺は町の中心にたくさんあって、僧侶も町に大勢おります。人々の生活の中心はすべてお寺であり、庶民の暮らしはお寺を離れては考えられません。それでいて僧たちは自分の私有物と言うものは何一つ持たないで、身一つで一生独身生活をしています。つまりいまでもお釈迦さまの教えに基づいて皆、生活しているのです。
それを見て私自身も恥ずかしくなりました。日本の僧侶やお寺は一体何をしているのか。お坊さんたち、われわれもそうですが、一体何をしているのだろう。生活のために葬儀や法事だけを行って、お釈迦さまの仏教はいったいどこにあるのか。大乗仏教と称し、家族を持ち生活のために仏教を使っているのではないのか。お釈迦さまの教えはどこへ行ってしまったのか。
何でこんなに皆に仏教が浸透して親しまれているのか。日本で言われている大乗仏教がほんとうに仏教なのかと、疑問も持ちました。そしてその比丘達のすばらしさ。日本の僧侶はほとんどが妻帯しているが、比丘は妻帯もせず一生独身でいる。お酒も飲まないし、午後になると食事もしない。欲から離れることを目的として、自分で厳しく律して生活している。
自分の身体をもって自分の欲から離れようとしている比丘の姿というのを観て、つくづく日本の仏教との違いを感じたわけなのです。
それと大勢の一般の人達がいつでもそういうものを、一緒に学んで一緒に修行しているわけです。日本とはえらい違いです。お釈迦さまの時代も、法を説いて人々が集まってそこで一緒に修行をして、ということを比丘と人々はたんたんとやっていたわけですね。今でもまさにそういうのがスリランカの仏教であったのです。カルチャーショツクを受けました。見ると聞くのとでは大違い。あれほど一般の人々までもが仏教に親しんでいるとは想像も出来ませんでした。
スリランカで一ヶ月ほど寺の見習い僧である沙弥となって滞在した後、帰国してまず考えたことは、これは何でも見てみなければわからない。日本で聞いていた仏教とはまったく違う。お釈迦さまの修行法をもう一度きちんとしなおそう。お釈迦さまの修行法であるヴィパサナー瞑想をきちんとやってみてから、何が正しいのかの結論を出そう、と考えたのです。
ヴィパサナー瞑想を修行するためには、日本にいては出来ません。先生もいなければ場所もありません。先に行ったスリランカには、外国人向けのよい道場がありませんでした。
そこで修行先は外国人をも受け入れている、タイかミャンマーかまたはイギリスかとも考えましたが、たまたまミャンマーから一人の長老が日本へ来たことを聞いて、会いに行ったことが私とミャンマーとの接点になったのです。
ミャンマーの長老はこころよく私がミャンマーで修行する手助けを承知してくれたのです。修行したいと考えた時にそのようなミャンマーの長老に縁ができ、まるで仏に導かれるように、それじゃミャンマーに行ってみようとなったわけですから不思議です。
その頃ですから日本人でミャンマーへ行って修行しようとなど考える僧侶もいませんし、一般の人もいないわけです。今から10年程前ですから。
半年間は最低修行するつもりで、翌年の一月にミャンマーへ出発しました。飛行場には長老自らが迎えに来ておりました。はじめてミャンマーへ降り立ったとき、まるで日本の50年前を見ているような気がしたものです。大きなビルもないし町に灯りがありません。
私は2、3日街を見学するつもりで、ロッジに泊まることにしました。修行したあとでは見学する気も起こらないだろうと思っていたからです。
明くる日、長老の寺を訪ねました。寺といっても日本と違って墓があるわけではありません。要するに何人かの僧侶が生活している家なのです。サンガというのは僧、比丘の集まりという意味ですが、五人以上の比丘が集まって生活している形態、それをサンガと言います。
お釈迦さまの時代は、サンガとは比丘の集団のことであり、その集団の生活の場所でもあり、そして、修行の場所でもあったと思われますが、現在の上座仏教国はどこでも比丘が修行する道場と生活の寺は区別されております。そのため比丘であっても瞑想修行のためにはヴィパサナー道場へ入ったり、森や洞窟で一人で生活し、修行をしています。一般のお寺は比丘の生活の場所となり、多くの人々が訪問しますから本格的な修行はやはりやりにくいものなのです。
ミャンマーには大きな修行道場がいくつもあるのですが、私が撰んだのはマハシというヤンゴン最大の瞑想道場でした。日本でマハシの瞑想法と言う本を読んで修業していたことにもよります。
マハシ道場は町の中心から十五分か二十分くらい。飛行場から町へ行く途中にあるのですが、常時300名くらいの修行者がおりました。比丘が約百名くらいで、あと200名が一般の人です。そのうち150名ほどが女性で、どこの道場でも大体、男性より女性の方が多いのが普通です。
修行するということは上座仏教の人々にとっては、ごく身近な日常的なもので、比丘になるという事もミャンマーやスリランカやタイでは日常的なものです。ただスリランカだけは一生比丘を続けるという決意の人たちだけが比丘になっていきますが、ミャンマーやタイは一時比丘という制度があり、誰でもすぐに比丘になれます。ミャンマーでも比丘になりたいということで行くと一日でも比丘となって修行できるわけですし、もちろん一ヶ月でも一年でも一生でも構いません。ミャンマーの男性は誰でも一生のうち二回出家しなさいと言われているほどです。
お釈迦さまの子供であるラーフラが出家したのと同じ六歳の時と、成人の二十歳になってからの二回、出家しなさいというふうに言われております。
出家して何をするのかといいますと大体修行をします。瞑想の修行をいたします。ですから誰でも坊さんやお寺というものに縁があります。タイでも同じです。タイも男性であれば、社会に出た以上は必ず1度は出家しなければ社会から認めてもらえません。必ず男性は出家する。一ヶ月でも半年でも一年でもいいんです。坊さんになって黄色の衣を着て托鉢に行って、という生活を必ずやってくるわけです。ですからお寺と人々の生活というものは密接したつながりを持っているんですね。誰でも男性であれば一度は比丘となって出家しますし、女性は修行したり仏教を支える方に回ります。私もヤンゴンのマハシ瞑想道場では六ヶ月ほど比丘となって修行したものです。
ミャンマーやタイは特に比丘と一般の人々との待遇の違いを感じます。私自身、日本の僧侶ですと言っても何も気にもとめないというか、ミャンマーでは在家と同じ扱いなんです。大乗仏教の僧侶は比丘ではありませんから、テーラワーダ仏教から見たら僧侶扱いではないのです。まったく、一般の人々と同じなのです。
ミャンマーでは一般の人々と比丘が同じテーブルで食事をすることはありません。僧侶はべつの席にあって一般の人と同じテーブルで食べてはいけないらしいのですけど、私も僧侶ですから最初外国人の比丘たちの仲間に入るのかと思っておりましたら、一般のミャンマーの人々と同じ席に座らされ、何でだろうと思ったものです。比丘戒を受けなければ、比丘ではないのです。
一ヶ月くらいして、修行になれてきたところで私も比丘になりましたが、比丘になると言っても日本のようにお金がかかるわけではありません。衣や鉢など比丘に必要なものは頼めばすべて用意してくれます。私の場合は、ミャンマー人のスポンサーの人がすべて喜んで用意してくれました。瞑想者を助けることはお釈迦さまを助けるに等しいと言う言い伝えがあると言うことなのです。
宿泊所は外国人向けの二畳ぐらいの個室がありました。そのころ個室があるのはマハシ道場だけでしたから、修行環境としては一番恵まれていました。いまは外国人向けの修業道場や宿舎がミャンマーにはどんどん出来て便利になっておりますが、そのころは個室があるのはマハシ道場だけだったのです。
道場の部屋で最初びっくりしたのは、夜になるとヤモリがたくさんいることでした。天井を見ているとヤモリが何匹も這い回っております。それが、寝ていると顔の上に落ちてきたりなんかするのです。びっくりしましたけど、蚊帳をつって解決しました。そういえばどこの家へ行ってもヤモリだけはたくさんいるというのを始めて経験しましたね。日本ではまったく考えられないことですが。
アリも、部屋の中にたくさんいました。ジュースを飲んで机の上に飲みかけのコップを置いておくと三十分しないうちにコップが真っ黒になってしまいましたから、アリで。
アリやヤモリを除けば、比丘としての修行生活は快適でした。道場の生活というのは朝三時に起きて五時に朝食。朝食はミャンマー名物のモヒンガーという麺類が多かったですけど、とてもおいしかったですね。お昼は十一時から食事。比丘は十二時までに食事を終わらければならないのです。午後は托鉢に行かずに修行に専念しろということで、食事はできません。実際のところ午後に食事をすれば、修行に差し支えることはすぐに分かります。午後に食事をしないということなどは、すぐに慣れますから何でもないことです。
ミャンマーという国は実は大変貧しい国です。一般的な公務員や店員さんの給料というのは大体月に五千円くらいです。日本から考えると大変貧しいのですけど、しかし私が感激したことがあるのです。比丘となると朝托鉢に行くことがあります。マハシでは比丘に托鉢を強制してはいませんが、托鉢に行く比丘もおりますので、私も経験のために何回か一緒に行きました。朝托鉢をしていますと、いまにも潰れそうな古く貧しい家がたくさんあります。台風がきたら潰れるんじゃないかと思うような家がたくさんあって、貧しいとは思うのですが、でもそういう人達がみんな朝比丘を待っていて、ご飯、お菓子、果物とお鉢に次々に入れてくれるんです。自分たちの食事で精一杯だとおもうような人々が、功徳になるからと食事の供養を喜んで行っているのです。上座仏教の底の深さを感じます。日本では考えられないですが。
しかし、お金がなくてもそうした人達の方が日本人より悩みが少なくて、幸福に毎日を生き生きと、生きている気がしました。日本人はミャンマーの人たちよりもはるかに金もちです。日本人は経済的にも恵まれていますし、何不自由ない世界で生きているように見えます。平均的なミャンマーの人達は日本と比較すれば、収入も少ないですし、娯楽もあまりありません。けれども、朝から布施をするその人達の方がなぜか、日本人よりも幸せそうに見えるのです。
欧米人、日本人、アジア人などの金持ちの国々の修行者たちが、最貧国であるミャンマーの貧しい人達に支えられて修行している図式ですが、どちらが幸せかとみれば、はっきり言って、何もない、その人達の方がはるかに幸せだろうなと私は感じました。
お金がなくても、テレビがなくても、朝もう四時になれば皆起きてきて、暗いうちから動いて仕事をしています。夜がくれれば皆寝てしまうでしょう。しょっちゅう停電になるし、電気なんてこないのも同じです。一日中停電なんてことも度々ありました。ローソクとまきで生活しているわけです。それで何か不足があるかというと何も不足がないのです。ご飯を食べられて、お天とう様があって、共に皆仲良く生きて健康であれば充分。あと何がいるの、という感じになってくるのです。
日本の戦前みたいでしょう。何もなくても、皆で助け合って明るく生きている。ですから、経済が発展するから、幸せだとは言えないのです。
だからそのような観点から見ると、日本が幸せだとか、どこが幸せだとか言えないというのがよく分かると思います。貧乏でも心豊かな人達のお陰で、修行者が支えられ、仏教が支えられているわけです。否、心豊かだからこそ、幸せだからこそ、仏教が残ったと言えるのかもしれません。仏教からみれば、ミャンマーはすごい国です。
私は経済的に見て、なぜ仏教国が発展しないのか、ということを考えていたのですが、結論として要するにあまり経済的な発展を好まないんです。文化を壊したくないというのか、急激に発展してしまう事によってあらゆるものが破滅、破壊していくわけです。木を破壊する、土地を破壊する、生命を破壊する。経済が発展することによってどんどん文化が破壊していく。仏教国の考え方は、それよりも、少しずつ少しずつ行く方が皆がより幸せに生きていけるという法則なんです。ですからあまり発展することを喜ばない。経済が発展して便利になったから、だからどうなの、というようなものなんですね。経済的な発展が決して幸せになる条件とは言えないんです。それをよく知っているのです。
我々とその人達と比べてどっちが幸せかと言えば、その人達の方が心配もないし悩みもないし、苦しみもないので、一日が充実して生きているかも知れません。お金がなくても生活にはたいして関係ないんだし、どっちがいいんでしょうか。分からないでしょう。だからそれらの仏教中心の心に、幸せ感というものが生きてきているわけです。仏教国のすばらしさはそういう所にあるのではないかというふうに私は思います。
ミャンマーと比べますと、現在のタイは若干発展しすぎてしまいました。西洋文化が入りすぎてしまい日本と何ら変わりのない状況になっております。十年ほど前は非常に貧しかったのですが、いまのタイは経済的にも恵まれてきました。そうしますと、お寺に対する信仰というものが非常に強いですから、たくさんのお金がお寺に集まることになります。お寺にお金が集まれば、個人的にお金を持っている比丘も出てくるわけです。そうしますと、何年か比丘になってお金を貯めて、在家に戻るというような僧侶も現れるのです。仏教はあまり経済的に発展しすぎると乱れて行くのです。
乱れないように戒律だけはタイでは厳しく言います。非常に厳しく戒律だけは言うんです。女性に手を触れちゃいけないとか、隣に座ってはいけないとか、お金に触れてはいけないとか、なにしちゃいけない、これしちゃいけないとかね、戒律だけはタイは厳しいんです。でも、偉いお坊さんになるとお付きの人がたくさんいて、その人たちがお金を管理をしていますから、実際にはお金をたくさん持っているのと同じだという僧侶もいるのです。経済が発展することはこのような弊害もあるのです。
戒律のタイと比較して、ミャンマーは論部のミャンマー。アビダルマのミャンマーというふうに呼ばれております。また、修行体系が一番しっかりしているのも特長です。ミャンマーは国をあげてアビダルマというものを基準にした比丘の試験もありますので、小さい沙弥のときから必死でアビダルマの経典を暗記しています。
またスリランカの仏教の特長は経典のスリランカ、法のスリランカというふうに言われ、お釈迦さまの教え遺された経典をできるだけ勉強し、学ぼうというのが見うけられます。同じ上座仏教の国ですが、それぞれ特徴があります。しかし、勉強していることは仏陀の教え、お釈迦さまの教えそのものであり、そして比丘の行っていることは、皆をお釈迦さまに如何につなげるか、という事なんです。
日本では道元禅師や天台大師や親鸞上人の教えを学ぶとか、そういうことをやっておりますが上座仏教の国々はそのようなことはなく、すべてをお釈迦さまに繋げようとしているわけです。お釈迦さまの教え以上のものはないことをよく知っていますから、すべてをお釈迦さまにつなげていこうとするのが普通なのです。自分がという形はないのです。私の教えはどうだということもないのです。お釈迦さまの教えはこうだからお釈迦さまの方へとどうぞ向いて下さいというふうな形で、お釈迦さまにつなげよう、というのが僧である比丘の役目であるのです。
ですから上座仏教の国では仏教は一般の人からも好かれておりますし、支持されています。タイもミャンマーもスリランカも90%が仏教徒であり、大乗仏教も入っては来たのですがほとんど消えてしまいました。キリスト教やイスラム教など他のものは余りないのです。皆仏教徒です。そのような状況で生活しているのです。
大乗仏教と上座仏教の大きな相違はその修行法にあります。日本では修行というと滝に打たれたりとか、山道を歩き回ったりとか、護摩を焚いたりとか、真言をとなえたりと、様々なものがあります。上座仏教の修行方法は「シャマタ・ビバサナ」。日本語では「止」と「観」の二つです。多分皆さまも聞いた事があると思いますが、止観と普通言いますね。日本では「止」と「観」を一つにして止観行といっております。天台宗でも止観行と言うのですけど、座禅して呼吸を数えたりします。
パーリ語では「サマタ」止と「ヴィパサナー」観と言い、止と観の二つの別の修行方法を意味します。
止は一つのものに集中するという意味で、観は観察するという意味になります。これが仏教の修行方法であり、お釈迦さまが修行をした方法なのです。
「サマタ」の止法は実はお釈迦さまが発見した修行方法ではなく、お釈迦さまが悟りを開かれる以前から、インドでは修行と言えばサマタ瞑想でした。当然ヒンズー教やジャイナ教の修行方法もサマタ瞑想であり、お釈迦さまもサマタ瞑想から修行をしていかれたのです。現在のヨーガ瞑想や座禅もサマタ瞑想になります。
そしてお釈迦さまが最終的に発見した解脱のための修行方法、智慧の修行方法というのは「ヴィパサナー」という、「観」の修行方法なんです。止と観は方法が違う別の二つの修行方法なのです。
サマタ瞑想は止法といいますが、止法の止は止めると書きます。これはある対象があってその対象に一つになるという、対象に止めるという意味なのです。
日本の座禅もサマタ瞑想であり、念仏三昧になるのもサマタ瞑想であり、ヨーガの修行方法はすべてサマタ瞑想になります。サマタの対象は36種あるといわれています。数を数えたり、壁を見たり、何も考えないようにしたり、呼吸を見たり、ローソクの炎を見つめたり、死体をみたりというのもあります。
お釈迦さまが最初に行った修行もサマタ瞑想でした。ヒンズー教やジャイナ教のすべての修行方法はサマタから入ります。あらゆる方法がこの方法であったわけです。お釈迦さまは出家して最初にバラモンやジャイナ教の修行をするわけです。そのころの修行者の修行方法は荒行というか苦行がほとんどであり、身体を苦しめることによって、心が身体からの執着を離れるというものでした。どこまで身体を痛めるのかと言う問題がありますが、結局は死ぬまで身体を痛めるということになります。ですから、生きているうちに解脱は得られない、死んでからと言うことにもなるわけなんです。
そこでこの方法でお釈迦さまも修行するのですけど、お釈迦さまは何度も何度も死ぬ寸前まで自分の身体を痛めてみて、そして、これでは最終的な解脱、悟りは得られないという結論に達するのです。
これが悟りなんだ。これが解脱なんだと、時の指導者が皆、言っているのですが、実際はそうではないという事をお釈迦さまはすべてを試して解ったのです。そして、ついにサマタ瞑想では得られない絶対の安楽の境地である解脱までの修行方法を発見し、完全な解脱の境地を体験なされるわけです。それが悟りの瞑想法であり解脱のための唯一の方法である、ヴィパサナー瞑想と言われるものなのです。ですから、本来仏教の瞑想法というものはヴィパサナー瞑想法と言うことになるのです。
お釈迦さまはこの「ヴィパサナー」という智慧の瞑想方法なるものを自ら発見し、悟っていくわけですが、「ヴィ」は詳細にとか詳しくという意味があり、「パサナー」とは観察する、観ると言う意味があります。詳細に観察するということになりますが、何を観察するのかと言えば、観察する対象は自分の心と身体。「身・受・心・法」の四つの対象を観察するのです。それでは、身・受・心・法の四つを簡単に説明してみましょう。
身の観察方法は歩いているならば歩いている足を観察し、歩いていることに気づきつづけます。例えば、足が上がれば上がっている状態を観察し、その状態に気づきます。運べば運んでいると観察し、足を下ろせば下ろしていると観察し気づき続けます。食べていれば食べていると観察し、顔を洗っていれば顔を洗っている動作を細かく観察し、一つ一つの動きに気づいております。気づくときのテクニックとして、最初は言葉を出して気づきを観察しつづけます。例えば、足が上がれば、「上がっている」または「動いている」と言葉を使って、そのときの状態に気づいております。
なぜこのようなことをやるのかと言えば、人には今がないからです。我々は歩いているときは歩いていると知りません。食事のときも行動するときも無意識に行って、認識してはおりません。ですから、いま自分は何をしているのかを知ることが、自分を知る事になるのです。
また更には、人間の思考するすべては個人的な理解・判断が入ってしまい、感情を想起してしまうがために苦しみから抜け出られません。基本的なダンマ(法)として、ただ歩く足の動き、手を動かせばその動き、すべての基本的な行動だけを観察し、判断しないその心のくせを造るとき、すべての苦しみから抜け出せるのです。判断しない、ただ観察し気づいている「サティ」のこころができたとき真理を知るのです。
少し難しくなりましたが、言葉で説明するより体験するほうがいいので、理論はあとにして次に移ります。
受は同じように感受の観察。痛いやら、痒いやら、暑いやら。身体的な感受の観察。
心は、嫌だもうやめたい、気持ちが良い、怒っている心、やすらぎの心など、心の観察。
最後の法も観察は、法則や悟りの段階の心の観察。七覚支と言われる、悟りまでの心の観察も法の観察になります。また、何か音が聞こえたとき、電車の音、風の音とやると、自分で判断しているので法の観察にはなりません。声や何か音が聞こえたとき、すべてに音と観察すればそれは法の観察となります。音はそれ以上の言葉がありません。声は声なのか音なのか分かりません。声と判断したものは違っているかも知れないからです。
判断しない心、ただ観察する心を造ることが、智慧の道、解脱の唯一の方法です。ですから最終的な解脱のための修行方法はこの「ヴィパサナー」という修行方法だけなのです。
悟りは四段階ありますが、最終的な解脱はヴィパサナー瞑想する以外にありません。お釈迦さまはこの方法を発見したから解脱し、仏陀になったと言われるのです。
しかし、この方法は実は日本に入ってこなかったのです。何故入ってこなかったかといえば、比丘がいなかったからです。比丘にならなければヴィパサナー瞑想は習えなかったからです。日本には比丘が入っていないのですから、残念ながら日本には入ってこなかったのです。
ヴィパサナー瞑想は智慧の瞑想といわれるだけあって、最初から行うのは結構難しいものがあります。そのためにミャンマーでも、修行の最初はサマタ瞑想という集中瞑想から始めることが多いものです。坐禅と同じように集中力をつけてからヴィパサナーに入っていくのです。マハシ道場も最初に行うのはこの集中瞑想で心の力をつけて、それからヴィパサナーへ変更していくと言う方法をとっておりました。
私がミャンマーへ出かけたその時の心の状態はと言えば、何が正しいのか分からない、大乗仏教も捨てきれないというところで、自分がどのような心になるのか確かめに来た訳です。マハシで六ヶ月間修行して、そして、自分の中のあらゆる謎というものが解けてきたのです。
自分の心がまずはっきりと見え出してきました。そうしますと、自分の謎というんですか、そういうものが解け出してくるわけです。そしてこの方法が一応修行方法として間違いのないお釈迦さまの方法なんだ、という実感が出てきたんです。
自分の心を調べていくうちに、人間というのは何て自分勝手なのだろう、と当然思いました。自分の心をいつも調べて、見ていく、観察していく。観察していくと、あくまでもどこへ行っても、どこまで行っても自分というのは欲と怒りの中で生きているし、すべての行動が自己中心的な心でもって人間は生きていると言うことが実感できるのです。それが少しずつ見えてくるんです。嫌になりましたね。
最初に愕然としたのは、自分の心の汚さです。次に解ってきたのは、自分は肉体の奴隷であると言うことです。私はいつも肉体の命令に従ってのみ自分の行動をしてきたな、ということなんです。生きることは肉体の要望にしたがって行動しているだけです。朝起きて、すっきりしたいから顔を洗う。お腹がすくから食事をする。トイレが我慢できないからトイレにいく。寒いから服を着る。洟が出たのでかむ。
ここまではすべて肉体的な欲や怒りの世界です。肉体の命令に従って行動しているだけです。お腹がすけば欲で食事をし、寒いから嫌悪の怒りで服を着て、洟が出たので不快の怒りで洟をかむ。すべて欲と怒りだけで行動しています。
そこには理性などありません。私は瞑想を通し、一日の行動と心の状態を観察し、つくづく人間の一日は欲と怒りでしか行動していないんだということをはっきりと確認しました。人間の心の中には貪欲、瞋恚、愚痴の煩悩三毒しかないと言われた、お釈迦さまの仰るとおりだったんです。
愕然としました。なんだ、私は身体の煩悩の奴隷じゃないかと。自分のものなんて何一つもない。自分の主人は自分の身体じゃないかと。人間には心と身体があるはずなのに、私の主人は身体であり煩悩なんだ、というふうに気がついたわけです。これはいけない、と思いました。
実際なんとかしなきゃいけない。この身体が主体として生きているかぎり、欲と怒りや快楽ばかりを求め、無恥で理性的なことなど何もない。心を成長することなど、一生かかっても普通の人間ではありえないんだと思ったのです。
私は瞑想修行を通して体験によって理解したのです。例えば、食事しているときも、食べたいなと思った瞬間に手が伸びていきます。食事中、座っている足が痛くなる。足が痛いと思う瞬間、無意識に足を組替えている。肉体的な欲と怒りが先にいってしまうんです。足が痛くても組替えなくてもべつにいいんですけどね。
風が吹いてきて寒いなと思うと鼻をかみたくなるとかもそうです。自然に手が散り紙の方へのびて鼻をかもうとしています。どこかが痒いとぱっと手が痒いところへ延びて掻こうとします。二十四時間観察していましたら、人間が生きることは欲と怒りのことしかやってないと気づいたんです。怒りというのは嫌だなあという感情ですし、嫌だと思うとそれを取り除きたくなるのです。
あとは歩くとか、寝るとか、欲と怒りではない無記と呼ばれるものしかやってない。理性的な行動や善いことなんて全然やってないじゃないかと。なんと自分という者は身体の煩悩の奴隷なのかと、そういう事を瞑想によって初めて気がついたのです。皆さんも自分の一日の行動を見ていてください。まったく欲と怒りだけで行動していることがよくわかります。
これじゃいけないと思いました。このまま死んだら一体どうなるのだろうかと。大乗仏教でも輪廻があると言いますし、(いまの学者はほとんど輪廻があるとは言っておりませんが)テーラワーダ仏教でも、仏教の基本として人間が生まれ変わるという事は当然だというふうに言っております。
ですからこのまま輪廻したら自分は危ない。要するに身体の命令のままに輪廻すれば、当然人間以下に生まれる事は当たり前です。動物の世界はそういうものですから、身体の命令だけで生きているのですから。だからこのまま輪廻すれば危ない。なんとかしなければ、心を育てなければ危ないなというふうに思ったのです。
心と身体の関係が少し分かってきました。心に智慧が出てきたのです。それと同じくして、大乗仏教で言うところの空の矛盾なども見えてきましたし、菩薩と仏の関係も解けてきました。どんどん頭が冴えて心を観るたびに真理の扉に手が触れかかってきました。
私はミャンマーでの6ヶ月の瞑想体験の結果、大乗仏教が絶対であると思っていた堅い鎖が切れたのです。心のほんの少しの体験が新しい方向に向かわせたようです。
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