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幸せは、やさしさから

花の菩薩

ちかごろ、亡き人の葬送儀礼について、ややもすると葬祭業者さんに、一切をまかせきりにしてしまう傾向があるようです。死者の安らかなお顔ほど、すばらしいものはありません、死者に心を込めてつくし、死の重み,生の重みを、もう一度、葬祭儀礼のありかたを通して見直したいものです。

最近では、病院で息を引き取ることが多くなりました、病院での死は、とかく肉親との距離をつくりがちです、遺体にふれることさえ無い場合があります。せめて末期の水をたむけ、湯灌(棺に納める前に、湯でふいて清めること)だけでも身内の手で行いたいものです、痩せこけた親の亡骸に、自分の親不孝をしみじみと思うことでしょう。

日本人の民族的な生死観・霊魂観があるとするならば、しだいに成熟して死をむかえた人間は、死を成熟の終着点とし、仏教に帰依入信した者ならば、お戒名を授かられて、冥途に赴かれます。そして新たに祖霊となる出発、すなはちご先祖さまとして、子孫に敬愛される先祖仏となる修行が始まると考えています。従って、中陰(中有ともいう、四十九日を満中陰とする)の期間をとても大切にしてきました。かけがえのない人を亡くした時、悲嘆からの立ち直りに、一定の時間がかかるでしょう、中陰は心の癒される期間でもありますから、短縮化しないようにしたいものです。

亡者にたいする追善供養(善事を修し、供養を施して死者の冥福を祈る)は、生きている者の単なる形式的儀式ではないか、という人がいますが、亡者やご先祖への供養は同時に、生きている自分自身の幸せづくりの始まりだと理解したいものです。

肉親や縁者など身近な人の死に直面した時、無常を観じて、やさしい心を取り戻すことができる、本当の無常を観じさせてくれたことを、亡き人に感謝したいものです。


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