宗派を超えた・やさしいPC法話
ボタン 僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」

今年の梅雨は例年よりも早く訪れました。

毎年のことながら何とも言えないジメジメ感に、肌にまとわりつくような湿気、歩けば体で空気の壁を押しているようで、夏本番までは嫌な時期です。

しかし、このジメジメした梅雨がなければ台地を潤す大切な水を得ることができません。

田植えを終えた水田には豊富な水が引いてあります。その水と栄養のある土壌で稲が大きく育ちます。

仏様の教えを説かれたお釈迦様は、自分の身に着ける衣を水田からヒントを得られました。

それは粗末な布を一つ一つ繋ぎあわせることです。

大きい田もあれば小さい田もあります。しかし、合わせていけば一つの大きな田になります。

仏様の救い取ろうとする願いは一つですが、その教えは一つではありません。私たち人間が生きていくうえで考えていかなければならない様々なこと、その一つ一つに応えてくださいます。

私たち人間は、考える力があるからこそ常に身勝手な生きかたをしてしまいます。

水がなければ雨が欲しくなり、降り続ければ災害を恐れて邪魔者扱い。自分の体が健康なときには気を使わず、病に罹れば気が小さくなり、悩みがなければ明るく悩みが増えれば落ち込み、自分の都合で「仏」頼み「神」頼みです。

そんな自分勝手な生き物が私たち人間です。だからこそ仏様はたくさんの教えを私たちに説き、その一つ一つを繋ぎあわせ必ずお浄土へ連れてゆくぞと約束されています。

仏様のお慈悲は尽きることのない生命の水のようなものです。

水がなければ枯れてしまう私たち人間の心を常に潤してくださいます。

その潤いこそが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

常にはたらきかけて下さるお慈悲に対して、自分勝手な都合主義ではいけません。

稲の一つがたくさん集まり一つの田を作ります。そして一つの田が無数に集まり一つの田園地帯を作ります。

「自分」ではなく、たくさんの内にある私であることにお念仏を通じて自覚したいものです。

合掌

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