宗派を超えた・やさしいPC法話
ボタン 僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」

早いもので今年も半分を過ぎました。

小さい頃の時間感覚といえば、楽しい時間だけが早く過ぎてしまいその他の時間は異常なほどに長く感じたものです。

大人になると楽しい時間だけではなく、退屈な時間や煩わしい時間さえもが早く過ぎて行くように思えます。

誰かと会えば「もう1ヶ月が過ぎた」などと話したりします。

特に楽しいことがあったわけではなく、忙しい時間が増えたのかもしれません。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書きます。

仕事や家事だけでなく、持て余す時間も「忙しい」時間になってはいないでしょうか。

7月の節句と言えば「七夕」です。

七夕の発祥は中国だそうで、アジアでは中国、ベトナム、台湾、韓国、日本などで節句の行事として行われています。

ご存知の通りの「彦星」と「織姫」ですが、この二人結婚するまではたいそうな働き者だったそうです。

ところが仲が良すぎて仕事をしなくなり、怒った神様が二人を別け1年に一度しか会えなくなりました。

七夕が日本に伝わったのは奈良時代です。

時代を超え長く愛される物語は時間の流れが実にゆっくりとしています。現代の私たちは便利さを求めるためにとにかく合理的に物事を運びがちです。

仏教用語に「諸行無常」という言葉があります。

一般には「盛んなものが廃れる」「儚い」など、どちらかと言えばあまり良い意味では使いませんが、本来の意味は「移りゆく」という意味です。

人が成長することも老いることも無常です。今日の私と明日の私も無常です。自らが心に決めたことも、いつ心変わりするかもしれません。病が進行するのも快復するのも無常です。

私たちの心や体そして身の回りに「絶対」は存在しません。常に無常の世界に生かされています。

親鸞聖人のこのような言葉があります。

 
外儀のすがたはひとごとに  賢善精進現ぜしむ
   貧瞋邪偽多きゆえ  奸詐百端身にみてり
 

人間は外から見れば、賢くて、善人のような、怠ることを知らない努力家のような姿をしているけれども、一度心の内をのぞいてみると貪り、怒り、邪まな心、つくり飾りの心が多く、悪知恵とごまかしの心がこの身にみちみちている。

と悲しまれています。

無常であるからこそ悩みが生まれ煩悩が生じます。それを取り払うために人は様々な努力をします。

「移りゆく身」だからこそ私たちは煩悩具足の凡夫です。

ただ、阿弥陀様のお念仏そして私たちを救い取ろうとするお慈悲だけは絶対です。

古くから伝わる物語のなかには、私たち人間の愚かさを潜めたものが多く残されています。小さな頃は楽しく読めた物語も、大人になると本当の意味を探ってしまいます。

日々の生活に追われ心を亡くしてしまいがちな私たちだからこそ、変わることのない「お念仏」に寄り添わせて頂きましょう。

合掌

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