宗派を超えた・やさしいPC法話
ボタン 僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」

八月に入り、ますます茹だるような暑さが続きます。

近年では毎年何らかの異常気象が起こり、記録を更新しているように感じられます。

小学生、中学生の頃クラブ活動で「水を飲むな」と厳しく指導されました。

今思えば、最高でも32〜33℃程度の気温だったからこそなんとかなっていたのだと思います。

決して、未知数である「気合」や「やる気」があったからではありません。

「気」を引き締めると、根拠のない「気合」は別物です。

関東では7月半ばからお盆が始まり、西日本では8月半ば迄にお盆を済ますのが一般的ではないでしょうか。

この「お盆」ですが、もとはお釈迦様のお弟子であった目蓮が自分の母親があの世で苦しんでいるのではないかと、お釈迦様に相談したことが発祥だとされています。

相談を受けたお釈迦様は目蓮に「お母さんは、お前を育てるために様々な罪をおかした」

「救いたいのであれば、夏の安居(お坊さんの勉強会)の終わった日にみんなの人にほどこし″をしなさい」

これを聞いた目蓮の毎年のほどこし″が恒例行事となり現代のお盆になったそうです。

「ほどこし」とは「布施」のことを指しますが、「布施」とは阿弥陀様に差出し阿弥陀様より頂くものです。

自らが差出、自らが頂く、一連のその全てには阿弥陀様からの「はたらきかけ」があるから出来ることです。

「はたらきかけ」とは私たち「煩悩具足の凡夫」を必ずお浄土へ連れて行くぞ、という絶対的な阿弥陀様から頂くお慈悲です。

それでは阿弥陀様のお慈悲や救い取る手や光はどこにあるのか。

煩悩具足の凡夫である私たちにそれを見ることは出来ません。

だからこそ私たちは、阿弥陀様より頂いた、

 「南無阿弥陀仏」のお念仏を通してそのお声を聴かせていただいています。

親鸞聖人は『一念多念文意』に、

「きく」といふは本願をききて疑ふ心なきを聞くといふなり、また
「きく」といふは信心をあらはす御法なり。

と述べられています。

阿弥陀様の「本願」とは「南無阿弥陀仏」であり必ず私たちを漏らさず溢さず、必ずお浄土へ導いてくださる約束であり願いです。

お盆というせっかく頂いた「御縁」のなかで、先祖の方々に感謝しお墓参りをして、先祖の方同様に私たちをお浄土へ導いてくださる「阿弥陀様」に何よりの感謝をしなければなりません。

普段忘れがちな「感謝」や、おろそかにしがちな「お念仏」や「ほどこし」を大切にしたいものです。

合掌

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