宗派を超えた・やさしいPC法話
ボタン 僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」

11月に入るとぐんぐん気温が下がり、霜月と言われるように山間部を中心に霜が降りはじめます。

ただ日本全国でみれば北から南にかけてかなりの開きがあります。

かえ行

日本の秋の風物詩でもある「紅葉」を楽しむためには、朝晩の冷え込みは欠かせません。

温泉宿の露天風呂などに浸かりながら眺める景色や、夜間のライトアップでの幻想的な風景も見ごたえがあります。

かえ行

日本では気温20℃前後が一番過ごしやすく、心が落ち着き和むそうですが、普段の生活の中で穏やかに感じることはあるでしょうか。

かえ行

「和」(なごみ)、これを感じる場所や感覚、状況や季節などは人それぞれです。

朝焼けもあれば夕焼けという人もいるでしょうし、春ではなく秋、夏ではなく冬という人もいます。

食べ物に趣味、音楽やテレビに動物や花などその数や組み合わせにはきりがありません。

では、なぜ「和」を求めつくりだそうとするのでしょうか。

かえ行

それは私たち人間が、機械ではなく心を持った生身の人だからです。

仕事や人間関係、金銭、学校、人生、病気に怪我そして死など。

その根本は「悩み」です。

そして、その悩みこそが仏教でいう「煩悩」です。

かえ行
高僧和讃 龍樹菩薩 第七首に、
「生死の苦海ほとりなし ひさしくしずめるわれらおば 弥陀の悲願のふねのみぞ のせてかならずわたしける」とあります。
あるいは生じあるいは死して、生と死をぐるぐる廻るばかりで、生死を超えることも出る事も出来ずに、その生死の迷いによるがゆえの苦悩は大海原のようにはたしがない。
その海の底に長らく沈んでいたわれらにも、弥陀の悲願はこの悲しみをわが悲しみとし、絶望的な悲しみに同じて苦海に浮かぶ大悲の願船となって、手をさしのべて乗船せしめ、彼岸の浄土へ無事にわたしてくれます。
かえ行

どのような人も最後に行きつく「悩み」は「死」であり、こればかりは自らでは何ともできません。

何ともできないのは「死」自体ではなく、その先にある「お浄土」に向かうことです。

生まれながらにして煩悩具足の衆生である私たち人間は、自らの力で「極楽浄土」に往生できません。

かえ行

だからこそ「南無阿弥陀仏」のお念仏によって「お浄土」に向かわせて頂きます。

温泉に浸かったときに、ついついでてしまう声があります。

かけ流しの湯もそうでない湯も必ず限りがありますが、阿弥陀様のお慈悲に限りはありません。

だからこそ、そのお慈悲に浸からして頂いているときこそ「南無阿弥陀仏」のお念仏を唱えてはどうでしょう。

                             合掌

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