浄土真宗では、「すべての人を救わないではおかない」という阿弥陀如来の誓い(=無量寿経の第十八願)を信じて、ああ、ありがたい、自分のような者まで救ってくださるのか、思わず手を合わせて念仏申し上げようとするその時、すでに救われている、お浄土へ行くことが決定していると考えます。
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大変シンプルな教えです。何の修行もいらず、ただ信じるだけでいいのですから、
誰にでも出来るもっとも易しい教えだとも言えます。
しかし、私はいい教えだなと感じながらも、ずっと何かに引っかかっていたようで
す。特に「必ずお浄土へ行けるんですよ、ありがたいですね、報恩感謝の思いで念仏
申しましょう。」
などと、ややもすると、お浄土へ行くこと、死後のことだけが強調されるとき、何か
違うのではないか、と感じていたようです。
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その永年の疑問が氷解するのが、御門主が当地に見えられたときでした。御門主を
前に、あるお寺のご住職が申されました。「浄土真宗は易行道(いぎょうどう)と言
われ、一番簡単な教えのように考えられているけれども、本当の信心に辿り着くには
長い時間をかけた厳しい思考が必要なのではないでしょうか・・」それを聞いたとき、
私ははたと膝を打ちたくなるものがありました。
十数年考え続け、坊守とも議論を重ねていたものが、ここではっきりと形を取り始
めたようでした。それは、死後のことよりも、今現在生きていることの方に、浄土真
宗のみ教えは、より深く関わってくるのではないか、ということでした。
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「現代人は死後のことで思い悩んでいるだろうか、いやむしろいま生きることに思
い悩み、生きる支えを失っているのではないだろうか・・」出発点はここにあります。
浄土真宗は、現代人の今を生きる支えにならなくては、生きる勇気を与える宗教でな
くては・・私の心の中にあったものは、こんな思いだったようです。
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阿弥陀如来は、自分のような者までお浄土に連れていって下さるのか、自分のよう
な者まで救って下さるのか、自分のような者にまで光を当てて下さるのか、それほど
までに生きとし生けるものの命を大切にして下さるのか・・ありがたい・・生きる勇
気がしみじみと湧いてくるようだ・・こうして生きる勇気を与えて頂いたからには、
勇気をもって生あるものの命を大切にする生き方をしていこう、世のため人のため、
少しでも役に立つ生き方をしていこう。
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こんな風に生きる力を与えてくれるのが、浄土真宗のみ教えの本当の価値だったの
ではないでしょうか。死んだ後のことより、今生きていること、つまり、「あの世」
のことよりむしろ、「この世」のことの方に深く関わってくるのが、浄土真宗のみ教
えの、現代における本当のあり方だったのではないでしょうか。
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また、生きる勇気が与えられ深い感謝が芽生え、世のため人のため・・言い換えれ
ば、生きとし生けるものの命の尊厳をしっかりと心に受け止めて、生きていこうと考
える時、その人の心の中では、死後お浄土へ行くか行かないかということは、あまり
問題ではなくなってくるのかも知れません。もちろん、出発点としては重要ですが、
生きる確信がその人の心の中でしっかりでき上ってからは、重要性が薄くなっ
ていくのかも知れません。あるいは、お浄土ということを別の視点で考え直す、とら
え直す必要があるのかも知れません。・・この辺りは仲々に難しいです・・いずれに
しても、いかに生きるか、いかに勇気ある生き方をするか、そのことにこそ真宗の教
えは力強い指針を与えてくれ、真宗教義の核心も、「今現在生きてあること」を離れ
てはあり得ないのではないでしょうか。
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自殺者が三万人をこえたとも言います。内科医に来る患者さんの十人に一人は、実
はうつ病とも・・。また、心の悩みに端を発した凶悪な事件も後を絶たないようです。
こんな時代だからこそ、生きる勇気を与えてくれる浄土真宗の必要性や価値も増すの
ではないでしょうか。
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(人間の頭ってほんとに知れたものですね。たったこれだけのことに、十数年もか
かったのですから。浄土真宗=易行道、浄土真宗=お浄土、という固定観念にとらわ
れていました。自由な発想を得ることの難しさを痛感しています。お浄土をどうとら
えるか、については、現在他の僧侶のアドバイスを受け勉強中です。)
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