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宗派を超えた・やさしいPC法話

『傷だらけの人生』

佛門

この処、亡くなった師僧、ご老僧やお世話になった方々が脳裏に浮かびます。

ただ、「忘れてはおりません」と念ずるばかりです。

思えば、三十をこえてから今までの間に、長短あわせて八回の入退院を繰り返し 幾度か集中治療室のお世話になり、生死の境を彷徨いました。

また、幼い時には自動車の助手席から道路に落ちたり、二階の階段から滑り落ち て意識不明になったり、旧郵政省団地の塀から落ちたりしたことを聞いております。

学生時代には、トラックに自転車ごとはね飛ばされたり、幾度かの交通事故に遣 いながら何とか学生時代を過ごし、社会人になっても三十迄に、軽い病気を幾度か 経験しました。

この様なことを人に話しますと、ほとんどの方が疑いの目で見るか、信じられな いと言われます。

ある方には、仏様のおかげですと言われました。

いま住職になった頃のことを思い出しますと、不思議に交通事故現場の何百mか 先から、幾度となく背中に寒気を感じるのです。

葬儀の後に、書院の玄関が開く音がして、本堂に歩いて行く音が、間をおいて聴 こえたりするのてす。

その後、重い病に倒れ何ケ月も入院するとになりましたが、自分が死ぬとは一つ も考えておりませんでした。実際はほとんど助からないと言うことで、親族十数人 が個室の部屋に見舞いに来たこと思い出します。

いま入院した病院でのことを思い出しますと、生死をわけるのはその人達の○○ てはないかと感じます。例えば、私の様な「極楽トンボ」であるように。

供養とは、亡くなった方々を忘れずにいる事とだと思います。

止めどもなく書きましたが、人はこの世に生まれてきた以上、だれ一人として 不要な者はいなのです。

合掌

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