宗派を超えた・やさしいPC法話
ボタン 僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」

ある町に、キサー・ゴータミーと呼ばれる女性がいました。彼女は結婚してかわいい男の子を生んだのですが、まだ幼いときにその子が死んでしまったのです。彼女は半狂乱の身になり、冷たく死んでしまった男の子を抱き、巷をさまよいます。「誰かこの子に薬を下さい、この子の病を治して下さい」 ある人が見るに見かねて、彼女にお釈迦さまのところへ行くように勧めます。

お釈迦さまはこう言います。

「ゴータミーよ、よく来ました。この子の病を治すには、ケシの実が必要です。町に出て、四、五粒もらって来なさい。ただし、そのケシの実は、まだ一度も死人を出したことがない家からもらって来なければなりません。」

ゴータミーは町に出て死人を出したことがない家を探しました。しかし、そのような家があるはずもなく、彼女は歩き回るうちにお釈迦さまの言葉の意味を悟ります。わが子の骸を墓地に葬った彼女に、お釈迦さまは尋ねました。

「ゴータミーよ。ケシの実は手に入りましたか。」

彼女は答えます。

「ブッダよ、もうケシの実はいりません。死人を出したことがない家は一軒もありませんでした。どうか私に、道をお示し下さい。」

こうして彼女は仏弟子となりました。

「生まれてきた者は皆死ぬのが定めなのだ」ということを、ブッダはゴータミーに諭しています。このことは、人類がどんなに進歩しても変えることのできないことなのです。万物万象の生きとし生けるものは皆、生まれたと同時に死と隣り合わせに生きてゆかなければなりません、与えられた命の重さと、命の尊さがゴータミーの出来事から伺うことが出来ます。

合掌

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