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宗派を超えた・やさしいPC法話
ビジネス法話

人は、
法人は、
何のため、
誰のために生きるのか?
パート1

慧照 

八正道の中の「正業(しょうごう)」は、実践道徳として、正しい行ない、と説明されています。「業」と漢字で表わし、行為を表わす言葉で、仏教の発祥地のインドでは、広く、思想一般に用いられています。そして、輪廻転生説と結びついて、「業」という言葉には、持続的な生きることの意味をもって、深く、捉えるようになりました。私は、八正道の中で最も重く受け止めています。

第三回目の法話で、「私たちは仏になるために生まれてきた」と皆さんに呼びかけました。「仏」とは悟った人、覚者のことを指しています。「ぶつ」と呼んでください。「ほとけ」と呼ぶと、死者を指す言葉と受け取られがちです。「ぶつ」とは、今生きる私たちが、覚者となる・なれる姿を指しています。「大無量寿経」の中に説かれている、本願(仏の誓願)を信じる成就文(じょうじゅもん)の中にも、仏となることの教えとして示されています。

『あらゆる衆生が、現世において、心の奥底から発心して、阿弥陀仏に帰依するこころを起こし、讃嘆の名号を聞いて、この上ない正しい覚りを得て、不退転(後戻りのない頂点)の位に入る。』 とあります。

この経典の研鑽に、生涯を通じて向かい合ったかたに親鸞聖人がおられます。聖人は、この経典によって、念仏往生を確信しました。念仏を唱えることで往生は叶う、と言切ったのです。「往生」という言葉も紛らわしい言葉ですが、「死」を指す言葉とは無関係です。今、生きているなかに悟りがあることを指しています。つまり、念仏している姿そのものが新たな生を得た悟りの姿である、と言うのです。念仏者は覚者である、と語っているのです。

そして、成就文の末尾は、注目すべき言葉で結ばれています。

『唯、五逆(父殺、母殺、など五種の大罪悪)のものと正法を誹謗するものとは除く。』 とあります。

そうです。例外事項があるのです。私たちは、仏になる種を持っているにもかかわらず、正なるものを放棄して、道に外れる悪の行為に走る。残念なことです。長い戦国の時代、つい、六十年余り前にも過ちを繰り返し、今猶、争いが絶えません。

「正業」のテーマは、組織(法人としての企業)についても言えるのです。(次回へ続く)