宗派を超えた・やさしいPC法話

ビジネス法話

日常の正しい生活・仕事とは
パート1

慧照 

八正道の項は、今回の「正命(しょうみょう)」で、一区切りとなりました。

言語では、「正」は正しく、あるいは、完全な。「命」は生活・仕事。日頃の正しい生活をする、仕事をする、という意味です。

いつの時代でも、世の中の母親たちは、わが子が、正しい道を歩むことを、強く願っています。悪い人たちに近づいてはいけません。悪の道に走ってはいけません。小さい頃から母に諭された。古賀正一師は、NHKテレビ番組「こころの時代、少年は荒野を目ざした」で語っています。師は、ロシア正教会の神の恵みを受けられた信者です。古賀師が語る、メロディーに載せて聞かされた母の言葉とは、元の歌はシャンソンの「囚人の歌」で、その替え歌だったとのことです。その原曲を調べてみると、強制労働の刑に服する囚人たちの哀歌だったのです。舟の漕ぎ役となって、鎖に繋がれてオールを取る。悲惨な身に堕ちるにつけ思うのは母の面影。愛情溢れる教えをいつのまにか忘れて、罪を犯した身。情けない姿を、母に涙声で見送られた。おそらく、金か欲か何なのか。正命を外れる人になってしまったのです。

ある素朴な山里の町で成長したA君。家庭を支える人になりたいと、中学を卒業と同時に、都会へとやってくる。人間関係、環境などになじめず、どこで、道から外れたのか、いつの間にか、自己の落ち着く先を、極道の世界に見出した。三年後、もう一人の少年B君。A君とは幼なじみで、高校を卒業して都会へやってきた。戦争未亡人の母に報いようと自分の役目に生きてきた。それから五年後、ある組織暴力団の家宅捜査が発生する。県警本部の機動隊に所属するB君。その中の一人として踏み入る。対する組員が不動の姿勢で立ちふさがる。そこにはA君が加わっている。にらみ合いの最中、二人が瞬間、眼を合わす。八年ぶりの再会。交わす言葉はなかった。二人は彼我の差をすぐに読み取ったと推測します。

人を殺したとか、盗みをしたとか、重罪を犯したわけではない、日常の言動の中に正しく生きることが求められます。しかし、その日常の社会生活自体が道に外れてしまう。何がそうさせるのでしょうか?その一つは貧困でしょうか。三毒に貪(とん、むさぼり)、瞋(じん、いかり)、痴(ち、おろか)という言葉があります。三毒をしてしまうのは自己責任である、と言い切るだけでは解決できないものがあります。正しい社会組織(法人としての企業)と関わっているからです。(次回へ続く)