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ビジネス法話

菩薩は実践者、求道者であり、
且つ、覚者である(中)
−マザー・テレサ−

慧照 

昨年が生誕百年に当るかたで、改めて、高い評価をうけておられる、マザー・テレサ女史(1910年−1997年)こそは、菩薩と呼ぶにふさわしいかたであると、受け止めます。私の造語ですが、女師と表現したいと思います。生誕百年を記念して、その一つ、映画祭が開催され、ドキュメンタリー映画は、今も深く心を捉えて離れません。そのうちの一作「母なることの由来」を鑑賞しました。

マザー・テレサ女師が、コルカタ(旧パキスタン首都カルカッタ市)にて開いた貧困の人々の救済施設「神の愛の宣教者会」の活動を通じて、世界に足跡を残した出来事を5年間追いかけた映像です。活動のきっかけをつかんだところの描写・ナレーションに、私は、覚者の誕生という事実に、大きな感動を覚えました。

彼女が36歳のときの1946年、聖マリア学院で地理の先生をしていた頃、宣教の仕事から汽車に乗って帰路についたとき、車中で、突然、神の啓示を受け、決心した瞬間のことです。「先生を辞職して、救済施設に奉仕するのだ」という、天職の自覚です。その体験は『召命』であり、『恩寵』が舞い降りたのです。マザー・テレサ女師の誕生です。神の分身、神のみ子となったことだと言えます。仏教の立場から言えば、覚者の誕生を指していると、受け止めます。

それからは、いわば、愛に満ちた活動に身を投じます。二年後のことです。スラム街のなかへと分け入り、飢えた子ども、体の不自由な子ども、病気の子どもたちを、抱きしめ、世話をする。施設を開設していきます。自らが重い病気に感染する恐れをも厭わず、ひとのために働く。映像は、レバノでは、戦火の中のベイルートの病院に分け入って、負傷の子どもたちを毛布に包んで救い出す姿なども伝えています。

どうぞ、皆さんも、マザー・テレサ女師の生前の活動を、ドキュメンタリー映画だけでなく、いろいろな資料で学んでみてください。女性の菩薩に譬えられているのでは観世音菩薩が知られています。菩薩のくらいのかたは、人種、宗教、身分などには全く関係ありません。救済者であると同時に、覚者になることは、何の制約もありません。次回、もうひとり、歴史上の人物から紹介したいと思います。