宗派を超えた・やさしいPC法話

ビジネス法話

菩薩は実践者、求道者であり、
且つ、覚者である(下)
−山岡鉄舟−

慧照 

先日、久しぶりに、上野の街を訪れました。先ずは、西郷南洲翁の銅像に参詣しました。足下の建立の口上を拝読しました。

(前略)その間、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟等の請を容れて江戸城の無血開城を実現、江戸を戦禍から救ったことは余りにも有名である。その後も云々(後略)

江戸から明治へと変わる幕末・維新の史実では、西郷・勝の会談によって、江戸での戦火が免れた、ということがよく記述されます。この銅像建立の解説では、勝海舟だけでなく、高橋泥舟、山岡鉄舟の、いわば「幕末の三舟」と呼ばれるかたも挙げているところに、目が留まりました。私は、西郷・勝の会談の前に、山岡鉄太郎(鉄舟は号)が、江戸を目指す倒幕軍参謀、西郷のもとへと、駿府まで急行し、決死の使者役を果たしたところに大きな意義があったものと捉えます。大河ドラマでは、宍戸錠扮する鉄太郎が東海道を駆け、そして交渉。熱演していたのを想い出します。そのかた、禅と剣、また書に参究された、山岡鉄舟師こそ、菩薩であると、評価します。

鉄舟師は歴史家の史伝によると、幼少から、剣への求道が強く、住まいを転々とする間も良き師匠に恵まれ、精進します。加えて、求道が厳しくなるにつれ、平常心が乱れる。その手詰まりを突破せんものと禅の道にも参ずるようになります。先の、西郷を訪ねた時は三十二歳。未だ、禅の世界に開悟しているわけではないのですが、剣の修行途上の勢いがあり、救国の心が高揚している状況から、相当な定力(じょうりき)を備えていたものと推察します。やっと四十五歳の時、剣禅一如の世界を大悟(たいご)、滴水禅師より印可を受けた、とのことです。つまり、仏弟子、覚者の誕生です。

鉄舟師の求道姿勢は、決して、自己のための発心(ほっしん)ではなかった、のです。自己の功名心はさらさらない。その時代の国家のために生きた。明治政府の道筋を作る過程での、私心の無い行政官、今で言えば初代県知事。幼少期の明治天皇の、人間形成のために厳しさと慈愛をもって接する教師役。いずれの役目遂行も、典型的な菩薩道を歩まれた人の姿である、と受け止めます。

ここで、再度、強調したいことは、西郷さんが語っていることです。「山岡さんのような、命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ、という人は、始末におえん。しかし、そんな人でなければ、天下の大事は語れないものだ」。そのような、現役の、菩薩のこころを持つ人の登場を期待したいものです。

それでは、次回から、いよいよ、地獄の世界から始まり、以下、餓鬼・畜生---、そして、菩薩・最高位の仏(ぶつ)の世界まで、皆さんと共に辿っていきたいと思います。