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地獄に佛(ぶつ)となる

慧照 

五味川純平氏の小説「人間の条件」を読んでいたところ、「『地獄に仏とはこのことだね』と、男の声がした。」とあります。長編小説の最後のほうです。敗残兵と一般の地方人とが、密林の中で、炊き上がった飯の甘い匂いと、共に行動する安心感に、家族を伴う男が口にした言葉です。小説ではありますが、8月15日を過ぎているのに、終戦を知らず、逃避行を続ける悲惨な状況で、地獄と表現する記述に出会いました。ことわざの意味は、危難に会うさなかに、思いがけない助けが差し伸べられた、ということです。ここでは、その危難は救いがたいほどの惨状で、読むものの心に痛みが伝わってきます。

さて、ここで表現されている「仏(ほとけ)」を、私は、「佛(ぶつ)」、すなわち、悟ったもの、覚者と捉え、地獄の世界にも、佛がおられるのだ、と、視点を換えて読んでみたいと思います。

地獄の思想はわが国ではいろいろに説かれてきましたが、学生時代に読んだ、梅原猛さんの「地獄の思想」は、日本歴史のあらゆる時代を貫いて取り上げられている代表的な思想、ということを学びました。源信の「往生要集」は地獄を詳細に表現しています。

私は、仏教の譬え話しと捉え、地獄界に、今も堕ちたままの戦国武将に思いが至ります。日本仏教の聖地を、全山焼き払い、出家者・仏僧を全員なぎ倒したかた。また、一揆集団の民衆を横串にして全員生き埋めにしたかた。彼らは、おそらく、今も、地獄界のそこに居られることでしょう。あらゆる責めを負っていることと思います。後の歴史に改革者と称された武将ですので、よくぞ、堪え、一身に罰を受け止めておられることでしょう。そして、さすがは、先見のある武将とも一般には評価されているごとく、逃げもせず、耐える。あれから五百年余の年月が流れています。仏教経典では何万億年と表現しますが、地獄界は三次元を越えた世界ですので、今世の数量では計れない単位ですので、なんとも検討がつきません。

しかし、佛(ぶつ)としての悟り(ものの道理を諦める)に会った瞬間に、悪人でさえも救われる身(悪人正機)。真の武将ならば、機、熟せば覚者になるかた。今、既に、その境涯を得ているかも知れません。つまり、地獄に佛となる。そのように思います。そして、今世の西暦三千年くらいには、転生しておられるかもしれません。

冒頭に示した、あの戦争はわずか66年前。今も世界のどこかで起こる戦争。世界史のなかで英雄と称されたかたがたが、転生して、戦争のない世界を実現するのを念じます。これは私(慧照)の仮説です。釈尊は、死後の世界を語っていません。しかし、釈尊の教えを、かように受け留めます。(次回続く)