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宗派を超えた・やさしいPC法話

ビジネス法話
「方便を超越する」

慧照 

釈尊が(さと)りを開き、覚者(かくしゃ)となられたことは、二千五百年前の当時、今のインド北部、ガンジス河中流域にある初転法輪(しょてんぽうりん)の「鹿野苑(ろくやおん)」の地、サールナートの人々に大きな反響を与えたことは想像に難くありません。

多くの修行者が釈尊を慕い、集まったに違いありません。そして、多くの覚者が生まれたと推察します。

ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセ師の小説「シッダルタ 」は、偉大ななる覚者の(うわさ)は遠くに及ぶ中で、一修行僧の主人公、青年シッダルタの求道の姿を描いている物語です。一つ、手にとって読んでみてください。

釈尊は、弟子たちと共に各地に(おもむ)き、教えを説いて廻りました。布教された訳です。ビジネス社会では、マーケティング活動が浮かびます。マーケット(市場)を商品・サービスをもって促進する総合的な活動を指しています。

釈尊の布教活動は、生きていく社会現実の中での活動ですので、その基本的活動は通底するものがあります。

マーケティグ活動の戦術技法として、よく言われるのが、プッシュ戦術、プル戦術があります。プッシュとは、こちらから相手方に攻め入る。よく、営業活動でみられる積極的な行動です。一方、プルとは、相手方を引付ける。

釈尊の布教は、まさに、人々を魅了するものであったことでしょう。釈尊はマーケッターとしても偉大なかただったと受け止めます。

釈尊の説法は、決して押し付けることはしません。相手に接近する、という意味から派生した、方便(ほうべん)で巧みに人々を導いたのです。そこには、八正道の正語があるのです。正しい言葉。二枚舌を使わない。私たちは、方便を得てして、悪用しているように感じます。

私たちは、本当はもとのままの迷いのない姿であることに気がつくだけのことです。どこも、方便とか真実とか区別することはないのです。

方便を超越することです。