「いのち有り難し」

みやうち

西の空に夕日が沈むのを眺めていると、思うのですが、いつの季節も夕日はなかなかに美しいものです。そして、その沈んでゆく太陽を見ていると、ふっと切ない気持ちになられる方があるかもしれません。昇った日が沈み落ちていくということは当たり前のことですが、当たり前のようにある「わたし」のいのちが、太陽のように沈んでいくということを当たり前のこととして受け入れられていないからでしょうか。まさかわたしがというように、他人事として、考えないように避けて通ろうとしています。しかしながら、どうしてもこの「いのち」には落日がやってきます。マラソンと同じように、スタートした人生にはかならずゴールがあり、いまはゴールに向かって、ゴールするために走り続けている途中です。競争することが当たり前になっている現代社会で、一人走り続ける毎日の中で、ゴールはどこでわたしを待ち受けているか計りようもありません。

そのような人生を東井義雄という方が詩にしておられます

落とせば壊れる茶碗だから
この茶碗の命が尊い
落とせば
今にも壊れてしまう命だから
今ここに
生きさせてもらっていることが
ただごとでなくいとしい
ただごとでなくうれしい
プラスチックの命でないことが
ただごとでなくありがたい (東井義雄 「いのちのうた」)

この詩にあるように、はかないと思うより先に、壊れるからこそありがたいことに気づき、いままさに生まれ難き人間としてこの一瞬を生きていること大切にして、仏縁を大切にしていただきたいものです。また同時に、いのちをつないでいただいたご先祖ご両親やご家族、周囲の大切な人々、いのちの恵みにあふれる大自然。ご縁のつながりをいただいているすべてものに感謝できるようなものの見方をさせていただけるように、仏教に出遇っていただきたいです。

わたしたちの、生まれ成長し、老い病み死んでいくという苦しみを深い智慧と慈悲の眼で見抜かれて、それをわが苦しみとして、救わずにはおれないと願われたのが仏さまです。限りないのいのちをもって、誰一人「むなしくすぐるひとぞなき」と、わがいのちを力強く支えてくださる「よりどころ」となってくださいます。その大切なご縁を常々感じていただきながら、「空しくない」人生をお送りになられることを念願致します。


合掌

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