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  「袖触れ合うも他生の縁」

悟祐  

人間ばかりでなく、全ての生命は、親、祖父母といずれも無限の過去をもっています。今、眼の前にいる相手と自分が、過去にどのような相互関係にあったかは知るよしもありませんが、夫々(それぞれ)のご先祖は、遠い昔に何時か何処かで触れ合っていたかもしれません。誰もが全くの孤独で生きているわけでなく、過去の他者と過去の自分との関係によって人間は構成されているのです。『(そで)触れ合うも他生(たしょう)の縁』とはそんな意味合いでしょう。

仏教の中心思想である「縁起(えんぎ)」とは、一切のものは、様々な条件と原因によって生ずるという考えです。それは、人間の現在のありようは、過去の行為(業)が原因となって決定され、現在がまた原因や条件となって、未来へ引き継がれるという考えでもあります。そのように考えると、人の出会いも偶然というものはないのかもしれません。因縁があるから出会った、出会えたのだ、と考える方が良いでしょう。そんな視点で相手をみつめると、急に親しみを覚えませんか?

そのような縁でつながれている自らの人間関係を、常に自分中心において他の非を責めても、他を改めることもなく、自分も救われず、共に憎しみ合い、苦しみを増すだけでしょう。それが因果(いんが)の道理です。他を非とする眼で、自分の非を見ることが大切なのです。

「あの人は仕事ができるけど、酒を飲むからぁ」という言い方と、
「あの人は酒を飲むけど、仕事ができるからなぁ」という言い方では、
全く進む方向が異なってくると思います。相手の良いところを見て学び、相手の苦手なところ、欠点に、自分が何か役に立てないかという優しさが、相手を活かし、人間関係を育てていくと思います。

アメリカ合衆国のケネディ大統領は、「国が何をしてくれるかを問うのでなく、国に何ができるかを考えよう。さあ始めよう」という言葉で就任演説を締めくくりました。

原初経典の中で、お釈迦様も次のようにお話ししています。
  • 他の過ちを見るなかれ
  • おのが何をいかになせしかを
  • 他の作さざるを責むるなかれ
  • 自らに問うべし
(法句経50)

人間だからこそ善悪両面をもっているのです。だからこそ悪意の気持ちでなく、善意の気持ちで相手を捉える寛大な心、つまり母心が人の心を動かすと思います。

『袖触れ合うも他生の縁』、出会いを大切にしたいですね。
            合掌

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