僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」
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殺人事件に見る五戒

蓮岡法修  

最近、殺人事件の話題がますます多く聞かれるようになってきた。かつて中東方面で数年間仕事をしたことがあり、土地争いや女性がらみのトラブルでの凄惨な殺し合いを耳にし目にすることは多々あったが、背景には当人が殺人に関わる理由があったように思う。

「つかまるのがやだったから刺した」とのコメントを何の疑問も加えず流す報道にも異様さを感じるが、殺人に対する動機の希薄さに恐怖を感じる。

釈迦は人間の最低限守るべきルールとして「不殺生、不偸盗(盗み)、不邪淫、不妄語(嘘)、不飲酒」の五戒を挙げ、浄土に生まれることができない者の罪を五逆罪として示された。

鎌倉時代は、戦乱、疫病、天災によって人々は明日の命も分からない状況の中にあった。生きるために殺し、生きるために盗む。目の前の現実を生きるためにしかたなくそれらを繰り返す絶望に生きる人々に法然・親鸞は「南無阿弥陀仏を唱えるだけで罪など関係なく救われる」と説いた。

それまでの仏教で「五戒、五逆を犯す、救われがたき者」と見捨てられていた人々は狂喜して念仏を聞きに集まるが、更にこう続ける「五逆、五戒を犯す救われがたき己の自覚に目覚めてこそ、初めて本願のありがたい救いを受け取ることができるのだ」(機の深信、法の深信)。

「救われがたき自己」を自覚し、しかし「悪を犯した自分をも救ってくれる」ことに気づいた人はそこで既に反省と感謝の宗教生活を歩み始めている。

それは「ビクビクせず、自己を肯定的に捉えて元気に明るく生きる」ことを意味する。

殺人を犯した少年たちも救われる身であろう。だがそれは自ら犯した罪を死ぬ思いで反省しつぐなう行為をすることで現実となう。それをどのように見守るべきか。ただ犯罪者として社会から排除することではなく、実際に人を生かす度量のある大道が、今社会全体に求められている。

広大無辺な本願の慈悲は我々の心を通して確かめられねばならない。

合掌。

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