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聖徳太子と天寿国往生

ほうげん

聖徳太子の天寿国往生は、太子の崩御の後に妃の橘大女郎(たちばなのおおいらつめ)の本願により、同妃の祖母推古天皇の勅により完成された天寿国繍帳の銘文から読み取ることができます。平安時代に同繍帳の亀の甲羅に記された約400文字の銘文が紙に写し取られていなければ、太子の天寿国往生願望が後世に知られることは、おそらくなかったことでありましょう。

天寿国の所在については諸説ありますが、三井文庫所蔵の北魏時代書写華厳経に書き加えられた奥書に「西方天寿国」とあるところから、天寿国とは阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土を意味する、という説が有力のようです。

仏教が日本に定着するにあたり、太子が大きなお力を尽くされたことは、十七条憲法の第二条、篤敬三宝から読み取れますが、太子ご自身、経典研究に多くの時間を費やされたようです。かつて上野の東京国立博物館で、特別展「書の至宝」が催されたおりに、太子御親筆と伝えられる法華経の注釈書「法華義疏(ほっけぎしょ)」が出品され、大きな話題となりました。その流麗なる達筆ぶりに魅せられたかたも多かったのではないでしょうか。

太子の御人徳が偲ばれる、まさに日本最古の文献であります。

日々21世紀のおぼうさんが読誦するお経の中には、飛鳥時代から読まれ研究されているものも含まれております。仏教定着に先達のご先祖様方のご尽力がいかに貴重なものであったかをあらためて実感する今日です。


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