宗派を超えた・やさしいPC法話

仏師 (くら)(つくりの)  (とり)(止利)

ほうげん

606年(推古天皇14年)4月8日飛鳥寺では、前年から鞍作鳥が造りはじめていた丈六(高さ1丈6尺、立てば 約4.85m)の仏像ができあがり、いよいよ金堂に安置しようとしたところ、仏像が金堂の戸よりも高いために入れることができないという事態が生じておりました。

諸の工人等は議論の結果、金堂の戸を壊して納めようと言います。

そのとき鞍作鳥が、戸を壊さずに巧みに仏像を堂に納め入れることに成功します。(こうした功績を称えて、翌月5日鞍作鳥は大仁(だいにん)(冠位十二階の大徳・小徳に次ぐ位)を賜ることになります。)

即日、法会が営まれ食事が供されました。ここに参集する人々は数えきれず、この年より初めて寺ごとに(旧暦)4月8日、7月15日に法会供養が行なわれるようになりました。

これが日本おける花まつり、盂蘭盆会のことはじめとして以後定着していくことになりました。

同年7月には、推古天皇の要請により3日間にわたり聖徳太子による勝鬘経(しょうまんぎょう)の講義が行なわれました。

同年太子は斑鳩の岡本宮(おかもとのみや)(現在の法起寺(ほっきじ・ほうきじ)の地)で法華経を講義されました。この講義を聴かれて推古天皇はたいへんにお喜びになり、播磨の国(播州(ばんしゅう):兵庫県南西部)の水田百町(約100ha, 1000m×1000mの正方形の面積)を太子に施し、太子はこの水田を斑鳩寺(法隆寺)に納められた、とのこと。

忠臣蔵で有名な播州赤穂浪士が登場するのは、太子の時代から千年以上のちのことです。(日本書紀 巻第二十二)


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