宗派を超えた・やさしいPC法話

煩悩具足の凡夫たれ
−いのち(上)−

麦里 法見

日本の古典文学である『徒然草』、『方丈記』、『平家物語』などには、人の世の無常観を綴っ た段、章が数多く出てきています。

人として、生命としてのいのちの時間は、限りあるものです。

人びとは、いのちをどのように受け留めるとよいのか、こころのよりどころを求めつづけて きました。

仏教ではいのちを、無量寿‐アミターユス‐と原典では説いています。

アは否定、ミタは量る、アーユスは寿命ですから、量ることができないいのちとなります。

親鸞聖人の正信偈、七字百二十句は、
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)
の句ではじまっています。

「量ることができないいのちに帰する」のです。

一切衆生は、如(ごとし)から来た量ることができない平等ないのちを生きているのです。

にもかかわらず、自我に執着して推し量り、比較して優劣をつけ、自分の価値観で善と悪に 振り分ける生き方をしているのですから、煩悩は尽きることがありません。

御聖人は、正信偈の中で、
不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
「煩悩を断つことなく、涅槃を得る」のです。

煩悩を断ち切るのではなく、生老病死に関わる煩悩をもったままこころ安らかになることが できると説いています。

御聖人は教行信証化身土巻で、道綽禅師の『安樂集』の言を引いて、

「安樂集にいはく、真言をとりあつめて往益を助修せん。いかんとなれば、さきにしょうぜんものは、のちをみちびき、のちに生ぜんものは、さきをとぶらひ、連続無窮にして、ねがわ くは休止せざらしめんと欲す。無邊の生死海をつくさんがためのゆへなり。」

連続無窮のいのちを欲しています。

死はいのちの結末ではなく、連続無窮に連なるいのちへの転機との受け留めです。

南無阿弥陀仏


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