宗派を超えた・やさしいPC法話

煩悩具足の凡夫たれ
−いのち(下)−

麦里 法見

仏教とは、人が仏になるための教えです。

仏とは、目覚めた人です。人が目覚めるとは、煩悩を取り払い身軽になることではなく、 煩悩にさいなまれ、四苦八苦しながらも自然のことと受入れて、穏やかでいられるこころ のありように近づくことが浄土門の領解です。

その時、如来が力を与えてくれています。

親鸞聖人は『尊号真像銘文』の中で、

「如来所以興出於世は、如来ともうすは、諸仏ともうすなり。所以というは、ゆえという みことなり。興出於世というは、世に仏いでたまうともうすみことなり。」と述べています。

如来とは、字のとおり「如から来た」ことであり、「如からのはたらきかけ」です。

「如」とは、御聖人の『一念多念文意』に、「『如』は、ごとしという。ごとしというは、 他力信楽のひとは、このよのうちにて、不退のくらいにのぼりて、かならず大般涅槃のさ とりをひらかんこと、弥勒のごとしなり。」と述べてあります。

人々が本来そうである姿になるように、こころ穏やかたれ、こころ安らかなれと働きか けているのが「如」であり、そのことが如来の本来的願いである本願です。

本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

と、天親菩薩の高僧和讃にあります。

本願力は、如来の本願のはたらきです。

一切衆生、いのちあるすべてのものが如の働きによって、願われています。

一切衆生の関わりによって生かされているのが自分であると心が深く翻ったとき、真に 穏やかな心の訪れを感じ取ることができると思います。

南無阿弥陀仏


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