宗派を超えた・やさしいPC法話

仏智見 −鬼(上)−

麦里 法見

「人間は
いまもまだ、
やさしいですか」

浄土宗の寺院に掲示されているポスターのことばです。

お地蔵さんが直立、瞑目(めいもく)して、こう静かに問いかけている絵柄です。

あなたも私も人間のはずです。

「あなたも私も、いまもまだ、やさしいですか?」と問いかけられて、 自信を持って「はい、やさしいです」と答えることができますか。

「常々やさしくしたいとは思っているのですが、やさしさだけでは世間の荒波は乗り切れ ません。生きていくためには、時には厳しさも必要です」とか、現在の自分を正当化する答えを、急遽(きゅうきょ)用意するのではありませんか。

人間は、自尊心と自己愛による保身が布を(まと)った生き物です。やさしくしようと思えばで きるはずなのに、しなかったこと、できなかったことで自分を責めたくはないのです。そのことを仏教では、「凡夫の分別(ぼんぶのふんべつ)」と言い表しています。大切なことばは、「まだ」に込められていると思います。

本来人間は、他のいのちを思いやることができるやさしい存在だったはずなのです。

文明の進歩とともに、経済活動による利益獲得競争の激化にともない、我欲が肥大化して 他のいのちを思いやるやさしさを、どこかに置き忘れてきたようです。

児童文学作家伊藤遊さんの名作に、『鬼の橋 』(福音館書店刊)があります。平安時代初期の京都で、実在した人物小野篁(おの の たかむら)を主人公としたファンタジーです。

この作品の中に、冥界において、東北地方を制圧した征夷大将軍坂上田村麻呂に、角を一 本折られた非天丸(ひてんまる)という名の鬼が、人界(にんかい)に現れて、人間になりたい気持ちをこう語っています。 「おれだって、たぶん昔は人だったはずだ。いつのことだったか、なぜ鬼になったのか、ま るっきりおぼえちゃいないが。人が鬼になるのなら、鬼だって人になれる・・・」

非天丸の独白は、人間の姿をして、実は「鬼」として生きてはいないかという問いかけで もあると思います。

南無阿弥陀仏

仏智見 −鬼(下)− に続く

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