嘘の是非
いちらく
仏法には、人の悪い事として十の事を表しています。
- 殺生(せっしょう)ものの命を奪うこと
- 偸盗(ちゅうとう)与えられていないのにものをぬすむこと
- 邪婬(じゃいん)男女間の正しくない関係のこと
- 妄語(もうご)いつわりの言葉を吐くこと
- 綺語(きご)かざりことば
- 悪口(あっく)わるくち(正しい批判を意味せず)
- 両舌(りょうぜつ)二枚舌(友好疎外のもととなる)
- 貧欲(とんよく)財産、淫欲、睡眠欲等のむさぼりの心
- 瞋恚(しんに)いかり、そねみ、ねたむ心
- 愚痴(ぐち) 因果の道理に暗く心の悩みの根元
今回の相撲協が起こした賭博問題で2つの嘘がありました。4番ですね。
- 一つは賭博をしたが、していないと言った関取と親方。
- 一つは素直に話せば、罪に問わないと言った理事会。
人は生きて行く中で、多くの嘘を付きます。それは自分を守ったり、仲間を守ったりと、いろいろな事が考えられます。
嘘が善いか悪いかは、十分知っています。だからこそ、嘘をついた事に対して、心が苦しくなるのです。嘘をつき心が苦しくなれば、それで十分に思えます。
しかし理事会の下した判断は、明らかに素直に申告した人への嘘をついた厳しい内容でした。
相撲協会の賭博問題は、本当に考えなければいけない一番大切な部分が忘れられてしまい、片付け仕事のように答えを求めて進められています。本来ならば答えよりも、何故そうなったのかをきちんと見定めて、よりよい方向に進む事の方が大切に思います。
人は生まれた時、所、生活環境で人格が形成されます。当然死ぬまで人は変化し続けるのです。これを無常といいます。
何時、何処で、誰が、どんな事を起こすかわかりません。だからこそ、
人生は、やり直しは出来ませんが、見直しは出来るのです。誰しもが他人事ではなく我が事として、考えて行かなければいけない問題のように思えます。
合掌