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亡き人を供養する本当の意味

入山

大切な人の死は、私たちに悲しみをもたらします。

私たちは、心の中に大切な人のことを思い、様々な記憶に思いを馳せ、悲しみます。


彼または彼女はどこに行ってしまったのでしょうか。

遺された私たちはこの悲しみをどうしたらいいのでしょうか。


仏教の中でも日蓮宗では、無くなった方は「霊山浄土」に赴くと言います。

他の宗派では「極楽浄土」と言ったり、別の宗教では「天国」と言ったりしますね。

つまりは、「あの世」のことです。この世で命を全うすると、「あの世」へ赴くのです。


では、「あの世」とはどこにあるのでしょうか。

日蓮聖人の御遺文、つまり遺された論文やお手紙のことですけれども、これを紐解いてみますと、 日蓮聖人が、夫と死別した信者の女性に対して綴ったお手紙の中にこうあります。


「仏の世界や地獄の世界というものはどちらも私たちの五尺の身の内にあるのです」と。


あの世という世界は私たちの身の内にあります。

遺された私たちの身の内です。すなわち、それが「心の中」ということです。

亡くなった方は、私たちの心の中にある「あの世」という世界に住まわれることになるのです。


私たちは今、大切な人の死という別れに直面し、悲しみの中にいます。

それはとても大切なことです。49日は亡き人のことを思い悲しむ時です。

けれども、それを過ぎて尚、悲しみに暮れ、心が弱くなり、どんよりしているのは、よいことではありません。

亡き人は、ずっとそのどんよりした世界に住まわなければならないのですから。

正直に申し上げて、それは「ご供養」にはならないかもしれません。


ではどうすればよいのでしょうか。

それは、私たちが「心をきれいに保つ」ことです。

時々でも心の中を整理するのです。その為の具体的な方法が仏教にはあります。


遺された私たちが、心の中をきれいに保つことこそが、

亡き人への最大のご供養になるのです。


ですから、49日は存分に悲しんでも、その後は、

自分の心の中をきれいに保つことを心がけて頂きたいと思います。

本当のご供養ができるかどうかは、その心がけ次第です。


合掌