宗派を超えた・やさしいPC法話

美女が砂漠で、
「もうこりたー」
と呟いた

ジョウシン

地平線に沈みゆく夕陽を背に、駱駝(らくだ)に揺られて、王子と姫の旅の物語。

私が子供の頃より憧れ続けた砂漠のイメージでした。 きっと、童謡「月の砂漠」が好きで、なんども繰り返して口ずさんでいるうちに、自分が彼の地の王子に成りきって、夢心地になっていたからでしょう。 後年、「月の砂漠」が、作者の散歩コースである御宿海岸からの想像の産物として世に出されたと知るや、砂漠への情熱、憧憬はすっかり失せてしまいました。

先日、NHKでお笑い芸人のワッキーさんが砂漠を走る番組を見ました。 最低限の装備、食料、水等を背負い、サハラ砂漠250キロの道のりを6日間で走りきるという「サハラ・ラリー」。 めちゃくちゃハードな競技です。 完走するだけでも尊敬に値するレースに、ワッキーさんは見事完走。 彼のレース中の心の葛藤に、こちらも同調してしまい、つい涙腺が緩んでしまいました。

このレースでは女性も男性同様の条件の下、世界各地から参加しておりました。 その中で、韓国より参加していた元アイドルの<美人アスリート?>にカメラが密着し、彼女の参加前よりの姿もレポートしつつ、最後尾を歩く駱駝に追いかけられる美女と野獣?のしんがり争いを演出、番組を盛り上げていました。

彼女はアイドルをやめてから、勉学に励み、韓国の一流企業でバリバリのキャリアウーマンとして働き、休みには友人らと外国旅行をする、なに不自由ない暮らしをしている。 しかしながら、何か物足りなさを感じ、ハードで賞金も賞品も一切出ない、このレースにエントリーしたというのです。 それも普段からマラソンをたしなんでいるという訳でもなさそうでした。 これが平地での市民マラソンでしたら、よくある話と聞き流せるのですが、場所が場所だけに、彼女のアスリート魂と発願に、ついつい見入ってしまいました。

しかし結果は、最終地点を前にしてのリタイヤで幕を閉じます。 が、ほぼ連日、最後尾の駱駝と共に、深遠なる「月の砂漠」を4日間歩き通しました。 寒暖差の厳しい砂漠で、お嬢様の彼女が歩いたことは、奇跡に等しいと思われ、アッパレと拍手を送りたくなりました。

日中の炎天下の苦しみに耐え、求道者のように見えた彼女の口元からも、愚痴とも泣き言とも言えるような言葉が次々と出てまいりました。

  「私は今までビリになったことはなかったのに…なんでこんな事、しなくちゃならいの!! もうこりごり、もうこりごりよ!」

そう呟きながらも、彼女は一歩一歩進み続け、大声援を送るアスリート仲間の待つ一日のゴールへ。 そして自然の内に、彼らの輪の中に溶け込んでいきました。

レース後、彼女は体の痛みがまだ引けないなか、爽やかな笑顔で答えていました。

「最初は、人生でビリになったことはなかったので、とても気分が悪かった。 4日間、一人で歩き続けているうちに気がついたの! 勝ち負けが全てでないって… だって、私がビリでも、みんなが励ましてくれ、温かく迎えてくれる。 これまで人生のバックパックに詰めてきたものは、自分のものばかり。これからは他人の為にスペースを空けてみるのも、いいかなぁ〜」

このレースの番組を見ていて、現代失われつつあるものや仏教的な示唆に富んだ話が詰まっているように思いました。  確かに高いエントリー代を出しているわけですから、スタッフの気くばりは当たり前ではあるけれども、あの過酷な状況の中において人の本質が見え隠れします。

「我欲」と「愚痴」の数々。 仏教で云われる「むさぼり・いかり・愚かさ(三毒)」の煩悩の世界が、人の生活を拒む極地サハラ砂漠の「一連托生」の舞台において、はからずも突出したことは当然のことでしょう。 しかし、その「下品(げぼん)の世界」から抜け出た、自己再生への挑戦や想いを持ち続け歩き通したアスリートは、事を成し遂げた行者さんの如く、清々しい姿でした。

彼らの、人に対する慈愛に満ちた受け答えは、仏教で言うところの<布施行>と云ってよいでしょう。 それはお坊さんにお金を喜捨するという『お布施』ではなく、簡単にいえば、他人に対して優しく接する思いやりの姿です。

分け隔てなく、人に笑顔で優しく、優しい言葉・気持ち・態度、押し付けがましくない心遣い。簡単のようでなかなか出来ないのが、この<布施>です。

  ボランティアという免罪符を振りかざし、押し付けがましく、他人の庭にずかずかと入り、自己満足している一部の輩たちの行為とはまるで違います(もちろん多くのボランティアはこれに当てはまりません)。

してあげたといった上から目線ではなく、同じ立位置での、見返りを求めない無償の心です。 他者への慈悲は、大乗仏教の柱になるところです。

日本天台宗の開祖「最澄(さいちょう)」さんは、山を開かれた当初、寒い比叡山でのひもじい生活で、弟子が病に倒れたり、出奔する者が多かったりする状況の中においても、弟子に対して優しく接していたそうです。

最澄さんは弟子にこう伝えています。<自分のことをおいて、他人のために尽くすことは、慈悲の極み、最高のすがたである> 〜この言葉のエッセンスを四文字熟語で言い表すと『忘己利他(もうこりた)』となります。

私たちも『忘己利他』の心をもって、ひとを慈しみ、自己をも慈しみ、ないがしろすることなく、大切に身を保ち、自己他者共に、幸せの第一歩を、さぁ歩み出しましょう!

閑話休題。 彼の地の美人アスリートさん、砂漠は「もうこりたぁー」のかな?

                                   和南  

蓮ライン