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宗派を超えた・やさしいPC法話

苦界安からず

信楽(しんぎょう)

「苦界安からず、浮生夢の如し。ただ聖衆の来迎を望む。
さらに有為の遷変を痛まず。」法然上人伝記 第44巻

この言葉は浄土宗開祖法然上人の弟子である隆寛律師の言葉です。私が心にとどめている言葉です。

人が日々生活する中で苦悩は尽きる事無く次々生まれてきます。悩みやストレス無く、災難が降りかからず無事に過ごしたい、あわよくば贅沢に暮したいと誰もが思っています。しかしそう簡単にはいかず、信仰心を篤く持っていても日々慎ましく暮していても逃れようのない理不尽で悲惨な出来事に遭遇することは多々おこるのです。この世とは悲しいかな、絶対的に理不尽なものなのです。

仏教でははっきりと、この世界は苦しみである、一切が苦しみであると言い切っています。この世に安らかな場所は無いのだと。

人の一生というものは漂う浮き草のように儚いもので、肉体とはなんとももろく、心はすぐゆれ動き些細な出来事で沈んでいってしまうのです。

そんな非力な我々の命が救われる道は仏の助けに頼るのみなのです。ただただ阿弥陀仏の来迎を信じて待つだけなのです。弥陀の名を呼びすがる念仏を称えることで臨終には迷いがはれ安らぎが得られるのです。

だからこそ今のこのいっときの苦しみの一生を耐え忍び、様々な出来事を受け入れ、どんな一生であれ世の移り変わりなどなにも苦痛ではないのだと思えるのです。

以上意訳ですが、隆寛律師の言葉のように気持ちを落ち着けることは難しいと思います。愚僧の私が言うとまるで強がりのようです。しかしこの言葉は優しくて力強い気持ちにさせてもらえます。全ての人々の命が救われる、何も悩む必要がないと。阿弥陀仏は見捨て給うことはありません。弥陀の名を称え臨終の後、愛おしい方の待っておられる浄土に往くのだと信じるのみです。他に何も難しいことはありません。どうぞ念仏を信じ行じてほしいものです。

礼拝

※余談ですが、法然上人伝記に見過ごせない点がありまして、それは隆寛律師の滅後に但馬宮という方が「(略)−浄土では律師は師範、上人は弟子、−(略)」と夢想された、とあるのです。ここだけははてなという感じです。但馬宮はそういう夢を見られたと流しておきます。

                              合掌