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草花の命

快照   

花は、見る人、育てる人に癒しを与えてくれます。厳しい自然の中で耐えて 花を咲かせる事に喩えて、仏前に供えられる花には忍辱(にんにく)【苦難 に耐え忍ぶ】の意味があります。

さて、ここで皆さんが思い浮かべるのは見た目が美しい花ではないかと思 います。

春の彼岸が近づいてくると境内にチラホラと雑草が芽を出し始め、それを 抜きながら、いつも思う事が

「綺麗な花を咲かせれば、水や肥料を貰って大 切にしてもらえるのに・・・」

「雑草だって花が咲くのに」

「これって殺生 だよな」

草むしりも終盤になる頃には、抜かれる雑草と自分の姿が重なってきて【悲 しい気持ち】になってきます。

『山川草木悉有仏性(サンセンソウモクシツウブッショウ)』

この世に存在 するもの全てに仏性があると言いながらも人の価値観で奪っていく命。

本当に、耐え忍ぶ事を教えてくれているのは雑草が咲かせる花のはずなの に真っ先に抜かれてしまいます。それでも気がつくと、知らぬ間に芽を伸ば し小さな花を咲かせる雑草。

皆さんにお聞きしたいのは「今まで何も不自由しない綺麗な花の様な人生 でしたでしょうか?それとも耐えて小さな花を咲かせる雑草のような人生で したでしょうか?」

雑草の多くは、発芽する条件が厳しい時には休眠で乗り越え、好適な条件に なっても一度には発芽しないそうです。

『一度には発芽しない』

皆が同時に芽を出すと急激な気候の変化や動物とかに食べられたりして絶滅 の危険があるので、必ず休眠を続け自分の番を待つ種子があるそうです。

自分の責任、耐えるとは何の為かと言う事を知って芽を出す雑草は、だか ら強いのかな・・・なんて思います。

時代の変化やブーム、様々な情報の氾濫、価値観の多種多様化。

判断するのは自分。休眠するか芽を出すか、自分自身の耐える心を試され る時代になったのではないかと雑草を抜きながら思う昨今です。

合掌

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