宗派を超えた・やさしいPC法話

宗教のおおもとってなに?

曹洞宗僧侶 柴田 関山  

世の中には、いろいろな宗教があります。

キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教・・・などなど、数えただけでも沢山です。


しかし、それらの教えの「おおもと」となるものは、一体何なのでしょうか?


私達は、この宇宙から生まれました。その宇宙も、ビッグ‐バンと名づけられた大きな爆発によって 発生したと仮定されています。


しかし、これほど科学が進んだ現代においても、その宇宙の発生とされているビッグ‐バン以前の宇宙の ことは、何一つ分かってはいないのです。


つまり、宇宙発生のはるか後に生まれた、私達人類にとって、宇宙発生以前のことは、推論・仮定すること はできても、真実そのものは知りようもないのです。


それなのに、人は教えの中で比較しあい、自分の信じるものが絶対であり、正しいと主張しあいます。


そして、そのことに命までかけて争い合います。


何故、このようなことが起きるのでしょうか?


それは、教えは言葉で書かれ、言葉で説かれるため、また、それを理解する側は、その言葉を自分が理解 している言葉で理解しようとするために、教えを説いた人の真意が分からず、誤解に誤解をかさねてしまう からです。


また、言葉というものは人間共通のものではなく、人それぞれ、その言葉を自分がどう理解しているかという 個人的なものであり、又、言葉でこの世界(存在)をとらえることはできないからです。


ですから、人は真実をみたければ、どうしても、一度人間が作った教えから離れなければなりません。


そして、その教えから離れたとき、人は初めて、教えより先にある、この命のいとなみに気づくことができるのです。


人が、何かを信じる、信じないにかかわらず、今、いま、まさに在る、この命のいとなみに。


そして、この命のいとなみこそ、この宇宙で共通の教え(言葉)となるのです。