お盆

                                                                                         

千田寛仁

夏になってお盆もまじかとなりましたね。実は私は、このお盆というのには、かねてから疑問に思っていたものであります。

わたしたち仏教徒は、いつでも仏壇に手を合わせていますね。と、いうことはご先祖様は、いつでも仏壇におられるということですが、お盆で向かえ火をしてご先祖様の霊をお迎えして、送り火でまたあの世にお帰りいただくということは、これって、例えば、お盆やお彼岸以外は、ご先祖様が仏壇やお墓に居ていらっしゃらないということじゃないのかと思って、悩んでいたのです。

しかし、ある日、我が禅宗におられる高徳の和尚様が この私の悩みをひも解いてくださいました。

「かんにん君、利行ということは、どういうことだろう。」
「よく分かりません。」
「それは、自にも不違、他にも不違。自分という生きた存在も、死んでしまったご先祖様のみ霊も、別々と考えるから分からなくなるんやよ。」
「え、別々のもんやないのですか。」
「ほんだら見。君は毎日朝仏壇やお堂でお経を唱えてへんか。」
「はい、唱えています。」
「じゃ、誰に向かってお唱えしているの。」
「仏様です。」
「それなら、仏様がお盆やお彼岸以外はいるかいないのか。」

そういわれて私は顔を赤らめて、にんまりと照れ笑いしていました。

そうなんです。私のご先祖様も、みなさまのご先祖様も、いつでもわれわれ、今を生きている人間を見ていてくださいます。他のものだと思うから、遠くに感じるのですね。ですから、いつでも今私たちを見ていてくださる仏様に手を合わせる心が大切です。

心が乱れているときは、どうしても仏様が遠くに感じてしまいます。そういったときには、仏壇を前にロウソクと線香に燈を燈して、「南無」と静かに手を合わせます。お盆になると、方々から親戚が集います。そういうときにこそ、なお、心静かに親族一同心を合わせることが、わたしたち仏教徒として大切な行いとなるのです。

利行は、自分さえ良ければいいというものではありません。わたしたち人間は、多くのご先祖様のおかげさまで生きています。もちろん、今は男女ともに姓を名乗っていいとなってきましたが、社会全体として、母方のご先祖様の苗字も名前も忘れられてしまうような世の中なのでありますから、わたしたちには、どれだけ多くのご先祖様のご加護があることかとしみじみ気が付かされるものであります。

ご先祖様を30代さかのぼれば皆様何人おいでかご存知でしょうか。単純に計算いたしても5億人なのであります。またそこにお世話くださった方々の人数を加えてゆくと、天文学的な数値となるのです。ほんとうにびっくりします。

どうぞみなさん、お互いに、この与えられた命を大切に、二度とはない今にお互いに手を合わせて、亡き人の菩提は自分自身の心の安定ととらえて、しっかりと心で手合わし、両手で手合わし、仏教徒として生きてゆく幸せをともに育んでゆきましょう。

ありがとうございます。 合掌

pagetop