浄土真宗の「他力本願」とは?
整体坊主 釋健蓮
私どもが日常生活の中で、よく口にする仏教の言葉に「他力本願」というものがあります。
この「他力本願」は、本来の意味をかけ離れてしまいまして、「自分で努力したり頑張る ことをせず、人に頼ったりまかせたりしている横着者」の考え方であるような使われ方を されることが多いようです。
私はここで「本来の意味からかけ離れている」と言いましたが、では、本来の意味とは どのような意味なのでしょうか。
私ども浄土真宗はご開山聖人、親鸞聖人によって明らかにされたお釈迦様の教えです。
親鸞聖人は比叡山の修行僧として修行に打ち込みましたが、自分の努力によって悟りを 得ることの限界を知るところとなりました。
自信を失いかけた親鸞聖人でしたが、法然上人によって、お念仏を専じることで、阿弥 陀様のお救いをいただけることを知りました。自分で悟りを得るための修行をしなくても 阿弥陀様の力だけで、阿弥陀様のお浄土に往生できる道を知ったのです。
親鸞聖人はお念仏と阿弥陀様についてさらに深くご理解し、その阿弥陀様のお慈悲の心は、我々を救いたいという大悲の本願一色であり、我々が阿弥陀様におすがりする心すらも、 阿弥陀様がくださることを解き明かしたのでした。
つまり、この阿弥陀様の持つ「我々を救いたいという気持ち=本願」にすべてをおまかせして、なまじっか間違えた修行や法に走らないことを、阿弥陀様の本願にだけにおたのみす る、という意味で「他力本願」と表現している訳なのです。
ですから私ども浄土真宗では、あれもしなければならない、これも納めなければならない、 などということはなく、一心にお念仏し阿弥陀様だけをお慕いしていれば良い訳なのです。
まさにこれほど簡単なことはないでしょう。
ですから皆様方もお仏壇の前に座り合掌してみてください。毎朝毎夕でなくてもかまいません。せめて一日に一度位、1分でもかまいません。
お仏壇のご本尊様に合掌しますと自然にお念仏が口からこぼれることでしょう。
そのお念仏こそが阿弥陀様の他力本願からいただいたものです。
そして、阿弥陀様の本願をいただいたのですから、お浄土への往生を約束された身となった訳なのです。