お葬式とは

釋 和顔

今夜は故人のためにお参りいただきましてまことにありがとうございます。

 
「かねてよりかくあるものとは聞きながら、昨日今日とは思わざりけり」。
 

普段私たちは「人生何が起こるか分からない」「一寸先は闇」などと言っている反面、マスコミの報道などで不慮の事故に遭って亡くなった人を見て「ああ可哀そうに。でも自分じゃなくて良かった」と思ってしまう。あるいは、葬儀は死者を弔い供養する単なる伝統儀式に過ぎないと考えがちです。

 

しかし皆さん、胸に手を当ててよーく考えていただきたい。本当に「死んだ人は可哀そう」で「自分は生きていて良かった」のでしょうか?

 

実はそれは大きな考え違いなんですね。冗談でもよく使われますが、人間を始め命ある者は皆「死亡率百%」なのです。別な言い方をしますと、オギャーと生まれた時から「死」へと一直線に前進して行く。それがわれわれの人生というものなんです。

 

ですから私たち浄土真宗のお葬式は単なる供養の場でなく、故人が浄土に還られて仏様になられたお姿を鏡として、自分もやがて同じ運命、同じ道を辿らざるを得ないこと。だから、その「有限な人生」をどう生きたら良いのか、仏様からお預かりした大切なお命をどう有効に使わせていただくべきなのか。日々の自分のあり方、生き方を振り返り見つめ直す場。それがお葬儀であり、各種法要なのだと申し上げています。

 

近年何事も功利的に考えるような風潮が強くなり、「葬式は要らない」という本さえ出る世の中になったようです。でも、そういう心の寂しい世の中であるからこそ、本日この場を仏様からのありがたいプレゼントとして、改めて自分の人生と向き合う大切な機会と受け止めていただけましたら、不思議なご縁により導師を務めさせていただいた私も貴貨(きか)とするところでございます。

 

ご静聴ありがとうございました。(了)    

貴貨(きか)とは・・・滅多にない機会


■皆さんのご意見を見てみる



樹木葬


地域別・地霊園ナビ


ごりやく・願掛け・参詣


はちす会推薦・永代供養墓


僧侶の派遣


お釈迦様に帰ろう

pagetop


© hachisu-net.com