高野山の案内犬ゴン

妙純 

『芳賀妙純』と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

私は、群馬・伊勢崎市に住んでおります。

先日、その伊勢崎市から約八時間かけて和歌山県の『九度山町慈尊院』に行って参りました。

私はなぜこの慈尊院に来たかったかと言いますと、二つ御座います。一つは千年の前この真言宗の教えを開かれた弘法大師空海様の御母公様がこちらで住まれており、御母公様の事が知りたいと思ったのと、二つ目はお遍路さんを高野山迄案内する紀州犬『ゴンちゃん』の賢い、悲しいお話があり、是非その場所へ行き、慈尊院をお参りして同じ空気を吸って見たいと思ったからです。

『昭和』の年号が終わろうとしている頃、紀の川とつながっている丹生川(にゅうかわ)にかかる小さな橋を渡り、一匹の白い犬がやって来ました。紀州犬と言って和歌山や三重県の山岳地方で古くから猟犬として活躍していたのです。

ふらりやってきたこの犬はオスの雜種でした。橋のたもとをネグラにしており、中には心もとない人が石を投げたりして可愛そうな一人ぼっちの犬でした。

まだ来た頃は、昼間小道に座り、お遍路さんの行き通うのを見たり、山の寺から鐘の音が聞こえて来るゴーンと言う音に耳をそばだて悲しそうな顔をして一日を過ごしておりました。

やがてのら犬は、この橋の上を、朝学校に行く子供たちが来るのを待っていて、一緒に学校迄歩いてついていくとても子供好きな犬でした。門迄送りとどけると、寂しそうな顔をしてネグラに帰って行きました。子供たちが学校から帰ると日が暮れる迄一緒に遊んでいました。

夕暮れになるとお寺の鐘が鳴り、子供が言いました。『なんや、ゴーンと鳴ったらこの犬嬉しそうやな。そうだこの犬ゴンと名付けよう』と名無しだった犬は、皆に『ゴンちゃん』と呼ばれる様になりました。

夕暮れになり、子供の親たちが迎えに来て最後ひとりぼっちになり、自分は橋の下に一人戻るしかありませんでした。食べるものも無くて、のどが渇くと川の水を飲み、投げ捨てられたパンの切れ端を食べて暮らしていました。

少し慣れ学校へ無事送り届けた子供たちと別れると、今度その足で『九度山駅』へ向かうのでした。『九度山駅』はお遍路さんが高野山に向かう為、慈尊院で身を清めてから登るのが本来の形と言われておりました。

白い服を着たお遍路さんを見ると『ゴンちゃん』はしっぽをふり、慈尊院は『こっちだよ』と言わんばかり、先頭に立つのです。

町の人達はそんな『ゴンちゃん』の姿を見て、目を細めて見ており、仕事を終え慈尊院に案内して橋の下に戻って来ると近所の人が御苦労さまという気持ちを込めて食べ物やお水をあげる様になったのでした。

ある時、近所の人が『ゴンちゃん』にご飯をやっている時、慈尊院の住職が通りかかり、住職に近づくと『ワァー』とこの住職犬が大嫌いで、逃げようとした時『ゴンちゃん』は寂しそうな顔をしておりました。

近所の奥さんは犬が好きで住職に犬の良さを進めましたが、お檀家さんの家へ法事に行って帰ろうとして荷物をまとめている時、どろぼうが何か取って逃げると思ったのか、飛びかかりそうになったが、あやうく鎖がつないであったので助かったと怖い思いをしたからだったのでした。

親子三人連れがやって来て高野山迄お参りする為、九度山駅に降りました。橋の上を通ると『ゴンちゃん』がやはり嬉しそうにしっぽを振り迎えるかの様だったのです。

いつもの様に『ゴンちゃん』は慈尊院迄案内して行き、お参りが済むまで外で待っていました。高野山迄行くと分かると何と数十b先をいつもの様に歩き始めたのでした。

一緒に歩いている中、しばらくいなくなる時があったので、どうしたかなと思うと、獣に人が来ているという気配を知らせているかの様に草むらから出てきて守ろうとしたのでした。

三人が休憩すれば一緒に座り、又歩きだし疲れたりすると振り向いて『ワンワン』と声をかけまるで励ましてくれていた様でした。

でも20`もある道のりを心配して歩かせてはいけないと、帰りなさいと言うと、悲しそう眼をして十bと二十bと離れたていく姿がとても寂しくたまらなく思わず『ゴン行くかい?』と言うと嬉しそうにしっぽをちぎれんばかり振り戻り又一緒に三人を案内していったとの事です。険しい山道をも疲れを知らない、案内するのが楽しくて仕方ないという風に語られていました。

二つの分かれ道ではきちんと止まって来るのを待ち正しい道を歩きだし、とうとう高野山迄案内したのでした。『ゴンちゃん』の帰りが心配で慈尊院へ電話があり『お宅の犬が案内してくれ無事高野山に着く事が出来ました』というお礼の電話だったのでした。

高野山迄の20キロの道のりを案内した事に家族の皆が初めて知りました。

そう言えば、今から約1100年程前の事。お大師さんが高野山に登った時、山中で二匹の犬『四郎』『九郎』を連れた猟師に逢い、高野山迄に日忌の犬に案内されたと言い伝えがあり、これは再来ではないかと思う様になってきたのでした。

犬嫌いだった事も忘れて住職は、夢中で境内に居る『ゴンちゃん』を探し、寒かったので毛布を持って行き、温かいご飯もあげました。

『ゴンお前は不思議な犬なんじゃ』『四郎』と『九郎』の世継ぎの犬かも知れないとおもう様にもなり、少しずつ心が通う様になっている所に又次の訪問者がやって参りました。女性が一人で来られ、一人歩きは心配していましたが、ちゃんとゴンちゃんが駅から付いて来たのでした。

いつもの様に慈尊院を出ると、『ゴンちゃん』は先頭に立って歩き始め、案内し始めました。

休憩すると一緒に伏せて休んでいました。食べ物を与えても知らない人にもらう物は食べませんでした。どうしてもと言われると土の中に埋めておくのでした。

それよりも早く行きましょうと言わんばかりで、歩き出すのでした。又マムシがいる場所では歯をむき出しにして吠え続け知らせるのでした。

高野山の大門迄案内すると、『有難う』と手を振るのを見る事もなく、『ゴンちゃん』は任務を終えたとばかりにしっぽを振り帰っていくのでした。

その後も何度も何度もお遍路さんや大勢の人達を案内していました。

この様に『ゴンちゃん』は、自分の賢さを人のために役立てる事が生きがいだった様で、決して何か食べるものをもらえる為に案内するのではなく、見返りを求めず、人々を案内する犬だったので住職も心に温かいものを感じていくのでした。

近所の人に言われたことが縁で『ゴンちゃん』は住職が飼い主となったのでした。住職の前でご飯を食べなかった『ゴンちゃん』は今度は食べる様になりました。

『ゴンちゃん』は案内する為八時に出発して、大門に着くのが三時頃になり、戻って来るのが夕暮れになるのでした。帰りは道でない木々の間をくぐり行きの半分でいちもくさんに帰ってくるのでした。

だがある時、八時や九時になり住職のこころに不安が広がってきて、やがて十時を回りまだ帰らぬ『ゴンちゃん』に、住職は『ゴンちゃん』に何かあっただろうと、あわてて山道を探していくのでした。

危険がいっぱいの細い道の横は深い崖になっており、今迄『ゴンちゃん』が歩いていた険しい道を改めて知るのでした。

半分あきらめながら、戻るとなんと小屋に戻っていたのが分かり喜びました。

この頃から少しずつ体調が変化していったのでした。

フィラリアと言う病気にかかり一命を取りとめましたが、危うく住職の手厚い看護で克服できたのでしたが、長い道のりを歩くのはもう止めさせようと思ったのでした。

『ゴンちゃん』引退の事が分かるとメディアは一斉に報道して益々『ゴンちゃん』の様子が全国に広がり、知って案内された方々がお見舞いにやってこられました。

今迄『ゴンちゃん』に勇気つけられて来たから今度はこちらが勇気つける番と沢山の人がお見舞いに来ていましたが、住職の看護も空しく、今から十一年前の平成十四年静かに息を引き取りました。


仏教の言葉で『四無量心』と言う言葉が御座います。

四つの広大な心。四つの利他の心

@慈(いつくしみ)・・友愛の心(衆生に楽を与える事)
A悲(あわれみ)・・他者の苦しみに対する同情(苦を救抜する)
B喜(よろこび)・・他者を幸せにする心(衆生に楽があるのをねたまない)
C捨(たいらな心)・・全てのとらわれを捨てる心を無量に起こして、無量の人々を悟りに導くこと(平等)

お遍路さんを見ると、高野山迄案内をしようと思う『ゴンちゃん』の気持ちはまさにこのいつくしみの心です。

又山を登る為、なれない人達は疲れてしまいます。『ゴンちゃん』は何度も登っているのでとても良く知っており、疲れた人達が休んでいる間は一緒になって座って回復を待っていてくれる心はあわれみの心です。

『ゴンちゃん』は山門迄送り届けて自分の任務を達成し終えて、喜びしっぽを振りながら帰る姿は、まさに他人の幸せを喜ばないではいられない心です。

高野山に行く人は白い服を着ているので、必ず自分が行く人と分かっており、その中でこの人はいやだとか思わず平等に案内をしてくれる心をもっていること。

これこそ私たち人間よりも、もっともっと純粋で清らかな心を持った仏様に近いのではないかと思います。

これは利他の心であり、それによって私たちに衆生に無量の福をもたらし、この心こそ梵天の世界に生まれるのではないかと考えます。

楽を与え、苦を抜き、法を喜び、財を捨てること。

こんな小さな一匹の動物の見返りを求めない無償の行い、偏らない心やこだわらない心仏様の様な感じを持ちました。いや仏様そのものです。