阿字観(あじかん)について
阿闍梨 明光
複雑高度な多数の密教行法の中で阿字観は自身の本源に直参するところの最も簡略にして、奥義に達することの出来る観法である。
阿字観の本尊は自己自身であり、自身とは大宇宙そのものである。
自心の本源たる阿字大日如来は、時間的には過去、現在、未来の三世にわたり、空間的には天地宇宙を己が体として、自らの内より個々の生命を生み出し、その個体を通して自らを無限に開顕していく。
阿字を瞑想して自心に深まるとき、根本生命である大日如来の実在をひしひしと実感することを得る。
佇む木立や路傍の石ころにも同体の親しみを感ずるようになる。
何れにしても、自己の本源を阿字本不生と感じて、阿字の一字に自身の源底を徹見する観法である「阿字観」によることが、この阿字本不生の妙境に達する方法として最勝のものと確信している。
「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る 阿字のふるさと」である。
