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阿字本不生について

阿闍梨 明光

真言教主大日如来より嫡々相承せられてきた真言密教の根本思想である「阿字本不生」とは何か。

先ず、「阿字」については、「阿字は、一切語源の根本にして衆字の月なり。一切法教の本源なり」、「阿字本不生の理を悟るは如実知自心の義にして、一切智々なり(大日経疏)」と説かれている。弘法大師遍照金剛は、字母表に「凡そ最初に口を開く音、皆阿の声あり、若し阿の声を離んぬれば即ち一切の言説なし。故に衆声の母となす。また衆字の根本となす」といわれ、更に「阿字は是れ一切法教の本なり。乃至内外の諸教皆この字より出生す」と説かれている。

阿字には、無量無辺の深義があるが、覚鑁上人の「一期大要秘密集」には、阿字の十義がある。「本不生の義」とは、「阿字は諸法本不生の義なり。妄念不生なれば浄法も不生なり心体も無為にして永く起滅せず、心海常住にしてすべて波浪なし」と説かれている。

次に「本不生」とは、本来、不生不滅で宇宙の本源は、生滅、断常、一異、去来を絶して常住寂然である。この妙境を本不生、本不生際という。(この妙境は不可得である。これを「阿字本不生不可得」という)

吽字義では、字相に無、不、非の浅略の三義と不生、空、有の字義深秘釈の三義を立てる。しかも空、有も浅略釈の無ではなく、本不生の義から当然出てくる真空妙有である。主眼とするところは不生の義であって、真言教義を説明するのに適切なため古来重視されている。万法は縁によって生じるが、因縁によって生じるものには必ずもと(もと)がある。その本にも本があって推し進めていくと法の根本本初は無自性であるから「本不生」と名付ける。

大日経疏では、阿字を万法の根源と解釈する。密教では、本来、不生の体、根本実在を肯定するから、自己の万象も悉く根本法身である大日如来の顕現に外ならないとの見解に立つ。即ち不生とは色心本有の意で、空というも(すがた)としては悉くが具備している不空の義であることを明かすのが「阿字本不生」である。「近うして見難きは我が心、細にして空に遍ずるは我が仏なり。我が仏は思議し難し、我が心は、広にして亦大なり」自心を深く掘り下げて行けば途中に煩悩という大小の瓦礫あり、欲求不満という執拗な妄執の泥土あり、然し、遂に本源に到れば清らかな地下水が大海に帰し、千変万化の波浪もその海底は悠久の静けさを湛える如く、大日如来の大生命は三世永恒にわたって、自身より一切を生み出し、一切のものを自身の中に帰していく。

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