宗派を超えた・やさしいPC法話

何の為に生まれてきたのか

西氷由起男

仏教の眼目は「生老病死」を超えること、宗派は天台・真言・禅・浄土教と色々有り ますが、仏教の目玉(眼目)は、生死を超える、生死を離れる。仏様の願いに目覚める 事です。

亡くなられた方の御法事を勤めるという事はどういう意味があるのか、また何故に、 御法事を勤めなければならないのでしょうか。

御法事・年回法要とは亡くなられた方の(とむら)いをすること。「弔い」という言葉は古来(ふるく)は訪うという言葉が訛って、(とぶら)う→弔いと成って変化して来た言葉だと言われています。

(とぶら)うという字は、最近よく聞かれます。「訪問介護」とか「訪問販売」とか言われま す。あの訪問の(ほう)、つまりたずねる、たずねて行くと言う意味です。そこで、今、私 達は、何を訪ねて行くのでしょうか。

それは亡く成られて仏に成られた方々の願いを訪ねて行く、仏の願いを聞いて行く事 に成るのでしょう。

悠久の時間(とき)の中で、生死して来た人々の歴史の迫間(はざま)で、願われ続けてきた願い。古来より願いには、性質により二通りの願いがあると言われて来ました。

一つは「生まれてからの願い」とあと一つは「生まれながらの願い」

「生まれてからの願い」とは、ああ成って欲しい、こう成って欲しいという願い。一 言で言えば欲ですね。自分が一番可愛いという事、私にも有りますし、これは誰でも 良く分かります。しかし、もう一つの「生まれながらの願い」とは、分かりにくいも のです。

人間の理智・分別からは、絶対に出て来ないものです。教えて頂けなければ分からな いものでしょう。人間は生命の底に願いを持ちながら、それが何であるのか分からん という存在です。

今は亡き仏様と成られた方々の御法事を、勤める事を投資手、人間に生まれた願いに 目覚めて行く事が大切な仏事の意味でしょう。

                           合掌  

蓮ライン