お彼岸や、お盆の時期になりますと、それまで、ひっそりとしていたお墓に、参拝者が訪れ、あちらこちらで、手を合わせる光景を目にいたします。立ちのぼるお線香の煙が、なんとも心を落ちつかせてくれるものです。
仏教行事を通してではありますが、故人を偲び、ご先祖に感謝する心だけは失ってないように思います。
実際には、故人はお墓の中で眠っている訳ではなく、すでにお浄土へ還られ、そして私たちに向けてお浄土より、如来さまの真実を知らせんがために働いて下さっております。
それでは、お墓は何のためにあるのでしょうか、お墓は先祖や故人が必要とするのではなく、先祖や故人を敬い讃えたいと思うから建てるのです。
かけがえのない命を私に伝えて下さったご先祖に感謝しつつ、「その命を精一杯輝かせて生きて下さい」と言う、ご先祖の願いを聞く場であります。
また、遺骨を前にして、縁ある人々が少しでも多く故人の遺徳を偲びつつ、諸行無常を味わうのもお墓ではないでしょうか。
無常の理をかみしめ、先祖の願いを聞きながら、生死を超えて、確かな依り所となる、お念仏の教えを聞かせていただく場、それがお墓ではないでしょうか。
合掌