宗派を超えた・やさしいPC法話

三世の理 三世の誓い

村上了山 

過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ
(開目鈔より)

人は誰もが幸せに楽しく過ごしたいと望んでいる、しかしながら現実は悩みや苦しみの 海で溺れていて願いとは程遠い人生を歩んでいる。

本来の望みがなかなか叶わないのは何故か?それは人が「三世の理」を見ず、「三世の 理」を知らないからだ。

「三世」とは、過去・現在・未来のことである。

日蓮大聖人は、この「三世」について「心地観経」の経文の一節を引用され、 過去の自分が一体どのようなものだったかを知りたければ、現在の自分がどのようなも のかを見ればわかる。未来の自分がどうなるのか知りたければ、現在の自分がどう生き ているのかを見ればわかると「開目鈔」に示された。

人は誰も苦難の時、何故自分だけがこのような辛い目に遭わねばならぬのかと、神仏を 呪い天を恨む。

しかし、たとえどんなに割り切れなくとも、これは過去に自分がなしたことの現れ(果 )であるのだと、現在に善い行いを積むように努力すれば、必ずや未来に善い結果が現 れる。

自分の過去を反省し、今現在に感謝して、未来に向けて努力を怠らない。

目先の欲に囚われず、過去・現在・未来へと続く「三世」を生き続けている自分の魂の 素晴らしさを自覚し精進してゆく。これこそが御仏が望んでやまない人としての生きる 道なのである。