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早すぎる・遅すぎる・お葬式

龍風    


「葬式仏教」と批判されがちな日本仏教ですが、私はむしろお葬式を、遺族の心の治癒にとって大切なものとして考え、真剣勝負でお勤めしています。私は浄土真宗のお坊さんですが、この法話では宗派にとらわれることなくお葬式の大切さを、私なりにお話したい、と思います。

大事な人が亡くなられたときには、生前にその人がいた場所にぽっかり穴が開いてしまいます。その穴に対する遺族の心は、いつも、「早すぎる」か「遅すぎる」か、どちらかになってしまうように思われます。

どういうことかというと。
 「早すぎる」人たちは穴が開いているのを見たくないので、さっさと亡くなった人の死のことを忘れてしまうことによって、穴を性急に埋めてしまうのです。そうなってしまうと、死者は、忘れられ消去されてしまうことになりますので、軽薄な印象が否めません

かといって他方で、人の死によって開いた穴を、悲しみ続けるのが良いかというと・・・。それはそれで、大切な人の死を嘆き悲しむあまり、現実生活がまともに送れなくなってしまいかねません。これでは死を受け止めることができず、穴を埋めるのが「遅すぎる」と言えるかもしれませんね。

「早すぎる」のも「遅すぎる」のも、「大切な人の死」という現実を受け止めていないのに対して、適切なお葬式こそが「大切な人の死」を受け入れさせてくれます。

お葬式とは、親族が死者の「穴」の前に集い、その時だけ限定で「ごまかさずに悲しむ」ことのできる空間なのです。

そしてその「悲しみ」は、お坊さんも交えてみんなで集まって食事をし、その席でお坊さんに話をすることによって、癒されるのではないでしょうか。私は葬儀の場で、できるだけ施主の方々とお話することを心がけています。

一年分の悲しみを数時間に圧縮して悲しみつくすことによって、死者の「穴」を受け入れるための時間をプロデュースするのが、お葬式での私の責務だと考えています。

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