宗派を超えた・やさしいPC法話

私はここに眠っています。
 私はここで待っています。

泰峰仙舟  

数年前、紅白歌合戦で「千の風になって」が歌われ、日本中にこの詩が知られるようになりました。

「風」という言葉に、自由で闊達(かったつ)固執(こしゅう)のない、是非自分がもしもの場合はこのような死後でいたいと思われた方が多いので、感銘を得たのではないかと思います。

対照的に「墓」という言葉に、暗い、怖い、なにか束縛されたような、固定的な状態を感じるのではないでしょうか。東洋と欧米の生死観の差によるものでしょうか。「千の風に・・」に、原文は題名はありません。戦争の為に故郷ドイツの母が亡くなっても、帰ることができなかったユダヤ人の友人のために、アメリカ人のメアリーさんが送った詩だとされています。

  • Do not stand at my grave and weep, 《わたしのお墓に(たたず)み泣かないでください》
  • I am not there, I do not sleep. 《わたしはそこにはいません、わたしは眠りません》
  • I am in a thousand winds that blow, 《わたしはふきわたる千の風になって・・。意訳》

この三行目の文が、日本語では「千の風になって」という題になったのだそうです。

私も何度もこの詩を読ませていただき、その度良い詩だなあと思います。特に親しい方の訃報(ふほう)を聞いて、すぐには行けない事情があった時、「嘆かないでいいです、私は風になってあなたの元へ」というフレーズは、悲しみを払拭(ふっしょく)し、安心感を与えてくれる詩だと思うからです。 欧米では「神の身元に抱かれて・・」という、死後の宗教観(安心感)を持っていると思います。しかもこの詩の場合、「あなたの」「親しい方の」あるいは「どこでも」(そば)にいますと、あたかも神に使わされているかのような大らかさが感じられます。この辺が、現代日本人にも共感を得るところでしょう。

さて、「私はここに眠っています。私はここで待っています。」とあえて題しました。仏教的には、死後一定期間を経て来世へ歩みだすという観念があります。「魂」は輪廻(リンネ)の旅に出、「霊」は安定し墓所に(とど)まるのです。魂と霊の概念を分けることにより、この世とあの世を観念的につなげています。この場所に静かに眠りたい霊と、いつでもあなたの所に飛んでいけるのが魂でしょう。

時々、静かに休まれている「霊」への供養もなさってください。身近な方への「魂」に対する気持ちもいつも胸に抱いていてください。

いつでも私はここで待っています。そしていつでもあなたのところへ行きます。

                              合掌