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現代の妙好人
(信仰厚い在家の信者)

阿弥陀堂栗桃庵 杉本好弘

「妙好人(みょうこうにん)とは、浄土教の篤信(とくしん)者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語である」と、Wikipediaにあります。浄土真宗では、在家の信仰厚い信者(妙好人)の話を、説法などの場で今でも取り上げておられるようです。

私の所属するお寺では、毎月1日に朝参会という、早朝念仏の会があります。そこに毎回必ずお見えになるお婆さんの中に、私がいつも手を合わせたい気持ちにさせられる人がいます。念仏の会では、念仏と礼拝を1時間続けた後、お茶が出ます。お茶を飲みながら、参加者が雑談をするのですが、そのお婆さんも、ぽつぽつと、自分と家族のことを話してくれます。その話というのが、実につらい話ばかりなのです。片目は以前から見えず、もう片方の目も見えなくなりかかっていること。大事に思っていた息子がやっと定年を迎えて家に戻ってくれたのに、いくらもたたないうちに脳梗塞で倒れ、自分が介護しなければならなくなったこと。自分も足が不自由なので、息子の通院に付き添うときは、二人でヨチヨチ歩くさまが、まるでペンギンの行列のようで思わず笑ってしまうこと。

こうした話を愚痴るでもなく、淡々と、時には笑いを交えて話されるのです。それは、この方がそれらの全てを自分の定めとして甘受(かんじゅ)されているからできることなのでしょう。もちろん、辛い思いをされているのにちがいありません。でも、あえてそれを受け入れることで、必要以上に悩み苦しむことが無いのだと思います。それができるのも、きつい坂道を登って、かかさずお寺に参って念仏を続け、阿弥陀様に身と心をゆだねきっておられるからだと思います。この方のような信者さんは、どこのお寺にもおられるでしょう。こうした方々の仏さま信仰のありようを語り継ぐことは、お寺の責務だと感じています。

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