僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」
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「先人と共に歩む」

釋氏僧正

皆さんご存知のように、仏教はお釈迦さまが説かれた転迷開悟・成仏への教えです。お釈迦さまは、生・老・病・死に代表される人間の苦悩を問い、その答えを求め29歳の時に釈迦族の王子として地位も家族をも捨て出家されました。そして、その後の求道の末、35歳の時ブッダ・ガヤーで悟りを開かれ「仏陀」となられました。仏陀となられ苦悩解決の答えをみいだされたお釈迦さまは、苦悩する人々を救い、真実の道へと導くために、その悟りを言葉にして説かれたのです。説法であります。つまり仏教とは「仏陀と成られたお釈迦さまの説かれた教え(法・仏語)」なのです。そして、その教えは仏となる成仏道であり、その道にはいろいろな道があり、どの道を歩むかが宗派の選択でもあるのです。

皆さんは、目的が一つなら、一つの教え(道)があれば良いとお考えになるかもしれません。実はその原因は私たちにあるのです。どうすれば仏に成れるか、という道は、人によって苦悩が異なるようにその人その人によって、その人に一番合っている道が違っていたからなのです。

仏教では「応病与薬(おうびょうよやく)」とか「対機説法(たいきせっぽう)」と表現されますが、ちょうどお医者さんが病人に応じて薬を与えるように、苦悩する人々に応じて仏法を説かれました。腹痛の人にはどんなに良い風邪薬でもこれは役に立ちません。かといって風邪薬がダメな薬なわけではありません。風邪をひいている人にはぴったり合います。要は自分に合うか合わないかということです。仏教はいろいろな宗派がありますが、どれも正しいのです(どの薬も良い薬なのです)が、自分に合っているかは別物です。自分に合うのはコレだと言うのが「宗教・宗派の選択」です。宗教は、厳しいほど「選択」の実践でもあります。

山に登るのでも徒歩がよい人、乗合バスがよい人、マイカーが良い人、ケーブルカーが良い人といるわけです。「どうやって登れば良いですか?」という質問には、どれを答えても間違いではありませんが、本人(自分)にとってどれがよいかは別なのであります。同じ目的地に行くにも道は多数あります。急いで行きたい人に、バス路線でなく徒歩の道を教えても、また、運転免許の無い人に高速道路の道を教えても意味ありません。

そのような選択が宗教であります。では、どのように選択すればと言うことになりますが、偉大な各宗派の宗祖方のように多くの仏教を学問し、自分に合う宗派を選び取ることなど私たちには到底出来ません。でも、私たちには「この道を歩めよ。この道で良いのだよ」と呼びかけてくださる多くの先祖・先人たちの仏縁があります。仏となられた先祖・先人たちの呼び声に励まされながら、ともどもに同じ道、自分の親たちの歩んだ道を力強く日々の日暮の中で素直に歩ましていただきましょう。その先には、この娑婆世界との縁が尽きたときに、必ず清浄な仏国土である浄土で、共に仏として、先立たれた愛する者とまた会う世界があるのであります。

私ども浄土真宗では、阿弥陀如来の「必ずすくうぞ。我にまかせよ。」という呼び声に素直にお任せし、大安心のうちに力強くこの娑婆世界を生き抜き、当来には往生の素懐を遂げ、共々に生きとし生けるものをすくう仏の仲間入りをさせていただくのであります。

南無阿弥陀仏    合掌


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