僧侶の派遣は明確なお布施の「はちす会」
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  「お盆の行事を縁として」

釋氏僧正

お盆は毎年日本で行われている日本の仏教行事です。では、お盆は何のための日でしょう? 中国では、梁の武帝の大同四年(五三八)にお盆を行ったというのが一番古い記録のようですが、日本では、それから間もなくの奈良時代、推古天皇の十四年(六〇六)に一番古い記録があります。

我々の祖先たちは、毎年夏になると「お盆」の行事というものを行い、今の私たちに伝えてくださっています。では、お盆という行事にどんな意味があるのかを少し味わってみたいと思います。お盆は、正しくは「盂蘭盆」といい、「ウランバナ」(Ullambana)の音写です。「ウランバナ」の意味を辞書で調べると「救倒懸」=「逆さ釣の苦しみから救われる」という意味であります。

ここまで来ると、なるほどと目蓮尊者の母が救われる話をご存じの方も多いでしょう。 学問的研究の結果、「 盂蘭盆経 」 に書かれているこのお話は、後世に中国でできた説話のようですが、基本的には仏教を基盤として生まれた行事であります。そして、現代の私たちはこうしたお盆の行事を伝統としながら生活しているわけですが、このお盆をどのように受け止めるべきか。少し味わってみたいと思います。

お盆の行事は、何れにいたしましても亡き人、故人を偲ぶ日と申せましょう。毎年、子供の日、母の日、父の日、敬老の日とあるように、「亡き人の日」、「先祖の日」と考えてよいと思います。 そして紛れも無い真実は、実は亡き人を偲ぶ私たちもまた、やがてその亡き人の数に入っていくということです。「散る桜、残る桜も、散る桜」。遅かれ早かれ私も・・・ その意味では、お盆は、単に故人の死を思うだけでなく、自分の死をも思う日でもあるわけです。ですから、単なる形式的な行事にしてしまったり、お墓参りさえすればといった考えではいけないのであります。

さきほど、「先祖の日」と申しましたが、先祖を考えるに、必ず2人ずつ親がいますので、両親から三十代さかのぼると、十億六千八百六十二万千八百二十四人のご先祖様がいる計算になります。私が今ここに存在し、生きているという意味を考えると、まさに多くの命の連続の中で生かされていることに気づき、不思議を感じると共に喜びへと転じていきます。それは、とてもお墓参りをするとかという形式だけでは満足されません。もっともっと深い所で亡き人の命と共に自分の命を見ていかなければなりません。

仏教は、自分を抜きはあり得ない教えです。問題をいつも現在の自分にもどして、かけがえのない主体の把握を教えるのであります。その主体が縁起の道理からなるものであることが本当にわかったら、そこからおのずと自分の人生の在り方もわかってくるのであります。亡き人を縁として、今の私の在り方を本当に知って、よりよく生きるということがもっとも大切な問題だといわなければなりません。今の私の生き方を、本当にとらえるということが何より大切な問題となるのであります。

合掌



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