宗派を超えた・やさしいPC法話

法 話

日蓮宗僧侶 柘植正也(つげせいや)

沢山の御葬儀、御法事のお勤めをさせて頂いたなかで、忘れられないことがございます。赤ちゃんの御葬儀でした。

生れつき心臓が悪く、手術したけれども駄目だったという御葬儀でした。小さな骨壺を見ました時には、何とも言えない思いが致しました。親御さんからすれば、子供が生まれて来る喜びが、あっという間に子供を失う悲しみに変わっています。納骨の時、御家族がお墓の中を覗き、「あそこに置いてやろう。皆に囲まれて寂しくないから」とおっしゃっていたことを覚えています。短い人生という言葉がございますが、あの赤ちゃんの人生は何だったんだろうと思ったものでした。

皆さんもお感じのことと思いますが、近年、忌わしい事件が多くなりました。親子で殺す、兄弟で殺す、夫婦で殺すといった事件が報道されています。

そうしたことが人生の最期であったならば、長く生きしたとしても、いい人生だったとはいえません。あの赤ちゃんの場合は、皆が真心で御供養の思いを向けてくれる。あぁ、あの赤ちゃんは幸せな人生だったんだなぁと思えるようになりました。

御供養するということは、その人の人生を幸せにするということです。

今日の日本は、様々な面で歪んでいます。病んでいます。いったいどこに原因があるのでしょうか。何か一つということではなく、色々あると思います。信仰しております立場からしますと、日本人が手を合せる心を失っているからだと思います。眼に見えない世界を粗末にすれば、眼に見える世界も荒れて殺伐としたものになります。眼に見えない世界を大切にすれば、眼に見える世界も麗しいものとなります。

世の中を良くできるのは、政治家ではありません。学校の先生でもありません。手を合せる心を失っていない皆さんです。そうした方が世の中を良くする土台です。どうか御供養ということによりまして、これからも故人との絆を大事になさって頂きたいと思います。