宗派を超えた・やさしいPC法話

幸せについて

柘植正也(つげせいや)

一周忌のご法事の折でした。故人は61歳で亡くなられた女性です。息子さんから、「どうしたら、気持ちが落ち着くのでしょうか」と質問されました。私は、「時間が経過することが癒してくれるようですよ」と答えたのですが、「それでは母を忘れなければならないようで嫌ですね」と言われました。私はさらに、「御供養をすることと、自分自身が幸せに向って行くことが、お母さんが喜ぶことだと思いますよ。」と答えました。息子さんは、うなずいていました。

さて、その幸せとは何でしょうか。どうしたら幸せになれるでしょうか。定義も方法も様々だと思います。

何か特別なことを成し遂げなければならないのでしょうか。スペースシャトルで宇宙飛行をしたり、オリンピックに出場したり…と。勿論、そうしたことも幸せを感じることだと思います。しかしそれだと、幸せは特別なことをできる人達だけのものになってしまいます。

私は、「幸せは至る所にあるが、そのことを幸せだと思えない自分があるだけ」と思います。 新潟県で中越地震が起きた時でした。被災者が「お風呂に入れて、温かい布団で寝れることがこんなに幸せなことだと思わなかった」と語っていました。

私が時折食べに行く蕎麦屋があります。お女将さんが「今日80歳のお爺さんが、泣きながらお蕎麦を食べてくれた」という話を聞かせてくれました。老人ホームに入ることになり、「このお蕎麦を食べられるのも、これが最後だな」と言って、泣きながら食べてくれたそうです。

話の見聞きだけではなく、僧侶の修行で感じたことがございます。35日間、68人が参加した修行でした。毎日、5時間、6時間、7時間といった正座が続きました。修行する姿勢に問題がありますと、全員の座布団が回収されました。35日間のうち7、8日間は、板の間に直接正座でした。修行姿勢が良くなり、座布団が戻って来ました。ペラペラな粗末な座布団でしたが、座布団一枚の存在が、本当に有り難く思えました。

私たちは、お風呂に入ることも、布団で寝ることも、お蕎麦を食べることも当たり前になってしまっています。でも本当は、それがどんなに幸せなことか。

日本は、物質が豊かで、飽食の時代をおくっています。でも、人口当りの自殺者は世界第2位です。日本は、人口が減少していますが、地球規模ではまだまだ人口は急増を続けています。食糧危機が懸念されています。

幸せを感じることができるようになるには、「感謝」ということが心の中心になければならないようです。

お母さんが一周忌を迎えられた息子さん、お母さんに対する「感謝」の思いでいっぱいだと思います。その思いをこれからも御供養に向けて頂きたいと願います。