宗派を超えた・やさしいPC法話

永遠の生命

つげせいや

仏道修行、信仰の生活から感じますことは、言葉にしたとたんに真実味のないものとなってしまいそうです。しかし、敢えてお伝えすることと致します。

三年ほど前、お医者さんから、白血病の可能性があると告げられたことがあります。普通は動揺してしまうのでしょうが、その日の晩、ぐっすり眠れました。

「これは面白いことになったなぁ」と思いました。或いは「白血病なら白血病でいいし、治らず死ぬのならそれもまたいい」と思いました(ただ、先立つこと、親には悪いと思いましたが)。

医療は勿論受けますが、信仰があると思いました。信仰で必ず治るのでしょうか。そんなことはありません。お釈迦様も日蓮聖人も御入滅の相をお示しになったのですから。

有り難いことに、今世で日蓮聖人の信仰にご縁できました。そのことが因となって、来世の果に繋がり、もっと恵まれた生まれ変わり方ができるのですから。治ればなお良し、治らないもまた良しでした。

自分の死を前にして、淡々とした心境があるものだなぁと思いました。“信”境が“心”境に繋がったのでしょう。後日、検査の結果、大した原因でなかったことが判明しました。

皆様も御存知の人物に宮沢賢治がいます。三十八年間の短い人生でしたが、詩人として、童話作家として、小説家として、また、東北で冷害に苦しむ農家への農業指導者として、後世に輝きを放ち続けています。

賢治の有名な詩に「雨ニモマケズ…」があります。あまり知られていませんが、賢治はその最後に日蓮聖人が顕した御本尊の中心部分を書いてあります。あの詩は、どういう人間になりたいと書いてあるのですから、賢治にとっては、日蓮聖人がその範だったことでしょう。

賢治は亡くなる二年前に両親に宛てた遺書を書いてあります。生まれ変わって両親に御恩を返すことが記されています。自分を思った時は、お題目を唱えて頂ければ、自分の魂は必ずその場にいますと記しています。日蓮聖人の信仰に生き、あれだけ感性が豊かで鋭い賢治です。賢治は生きているうちに、生命の永遠を感じていたのだと思います。

今回の人生をより良く生きることが、永遠の生命を良くすることに繋がります。その意味からも、かけがえのない人生です。

永遠の生命から今回の人生を思えないと、人生が虚しくなります。豊臣秀吉のように天下人になっても、辞世の句は、人生が露のようにはかないことを詠んでいるのですから。

自殺で人生を閉じるのは、最も悪いことです。それで楽になれることはありません。あちらの世で過ごすにも、生まれ変わった時にも、そのことの因が引きずられてしまうのですから。

私たちは、永遠の生命を良くするためにも、今回の人生を輝かせましょう。

蓮の花のライン