宗派を超えた・やさしいPC法話

仏教観と生きる道理

日蓮宗僧侶 柘植正也(つげせいや) 

本日は、宗教が何故必要かの一端をお話させて頂きます。宗教と言いましても仏教です。また、仏教と言いましても、私が日蓮宗の僧侶であることをご了承下さい。

眼に見える世界が全てならば、宗教は必要ないのだろうと思います。また、受精から始まり、呼吸が停止するまで、心臓が停止するまでが人の全てであるならば、宗教は必要ないのだろうと思います。眼には見えない世界があり、前世と来世があるからこそ、宗教が必要になります。

眼に見えない世界や、前世・来世は、なかなか確認できませんが、(まれ)に確認できることも生じます。しかし、ここでは、そのことが本当かどうかは脇に置いておくことにします。どちらの立場に立った方が道理に(かな)うかを考えてみます。

最近(平成22年)、殺人事件の時効が無くなったようですが、今まではありました。殺人を犯しても警察の逮捕を(まぬが)れ、時効を迎えれば、犯人はバンザイとなれるのでしょうか。被害者家族は、泣き寝入りだけなのでしょうか。

勿論、違います。人間社会の(とが)めを免れても、あちらの世で咎めを受けます。人間社会の咎めを免れることをした分、一層苦しい咎めです。刑務所での(つぐな)いの非ではない苦しみです。

自分はいずれ死ぬのだから、子供を残さないと自分の継続が無くなってしまうと言う方が、時折いらっしゃいます。ご自身は子供を持てたから良いかも知れませんが、それってムゴイと思いませんか。結婚して、子供が欲しくてもできなかった人達に対して。

人はいずれ死を迎えますが、全てが皆無になる訳ではありません。肉体は滅しますが、魂は存続します。それがあちらの世です。存続する魂は、いずれまた他の肉体と一緒になって生まれ変わります。それがまたこちらの世です。皆さんが耳にするところの輪廻転生(りんねてんしょう)です。つまり、子供に恵まれなかった方も、自分の継続はあるのです。

仏教の説く因果応報(いんがおうほう)は、悪因悪果(あくいんあっか)善因善果(ぜんいんぜんか)です。前世の因は今世の果となり、今世までの因は来世の果となります。こちらの世での因は、あちらの世での果となります。

如何(いかが)ですか。眼に見えない世界があり、前世と来世があることの方が、人が生きる道理に適うと思いませんか。

世の中、目的を達成できた人、できなかった人、様々です。目的を達成できた人も、実は、人に取り入ったり、ゴマすりするのが上手かっただけかも知れません。得意になり、いい気になってしまうと、その心根が次の悪因となってしまいます。また、目的を達成できなかった人は、敗者というだけではありません。努力したならば、その(とうと)さが次のことへの善因となります。

どうですか。仏教観を持って生きることは、素晴らしいと思いませんか。一人でも多くの方が、仏様の道を歩む仲間になってくれることを願っています。