宗派を超えた・やさしいPC法話

傲慢(ごうまん)と科(とが)

日蓮宗 柘植正也(つげせいや) 

私は宗教に身を置いていますが、傲慢にならないようにと思います。

法華経の信仰をした人間だけが成仏できるなんて、傲慢ですよね。信仰をしなくても、法華経に説かれるような尊い生き方をなさった人は、成仏できると思っています。


科学、学術に身を置いている人の中には、宗教を否定的に捉える方もいらっしゃいます。


生きてゆくことに不安の多い状況下、精神科に通院する人が増えています。

しかし、精神科医は、自分が治せるなんて思っていないのではないでしょうか。原因となったことが継続している場合、それを克服しなければ無理ですから。失業が原因であれば、職を得なければならないのですから。医師は、薬を処方し、体調のコントロールに貢献することはできます。


人間が存在しなくても、宇宙は法則で成り立っています。人間は、その中のどのくらいを解ったのでしょうか。解ったこと、解る可能性のあることだけを科学としているようです。

医師の向井千秋さんは、宇宙飛行で、神を見たと語りました。


科学は科学のために、正しさを歪める可能性があります。臓器移植を可能にするため、脳死を人の死としました。

神仏を大事に思うと、人間の傲慢さは返って抑えられるかも知れません。

日蓮宗には、霊断という法術があります。しかし、霊断では、生まれてくる子供の男女、人の死期を見ることは、禁止事項です。


サイエンスという外来語を、科学と訳したのは、先人の卓見だったかも知れません。科学は科(とが)となる危険もあります。